横浜開港資料館

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「開港のひろば」第136号
2017(平成29)年4月26日発行

表紙画像

企画展
「横浜・地図にない場所」展示資料から

さらに目を凝らすと、図2の中央に、日の丸を掲げた「裁判所」から右手に細い線が伸びているのに気づく(図4参照)。棒のようなものを伝うその線は、元弁天の灯明台へと伸び、さらに「新地」と「馬車道」をつたい、最後は絵図下部の左端まで延々と描かれている。これは、1869年に開設された電信の柱と線である。まずは同年8月に灯明台と裁判所の間で官用通信が始まり、9月19日には横浜裁判所内に電信機役所が開設された。この日を陽暦にした10月23日が現在の電信電話記念日である。12月には京浜間に電信が通じた。

図4 英役館と裁判所付近(横浜明細之全図の部分)
図4 英役館と裁判所付近(横浜明細之全図の部分)

貞秀は変化する横浜を伝えるとともに、昔ながらの姿を描くことも忘れない。図1の右上、平沼新田と芝生新田には、「シホヤ」の文字とたなびく煙が描かれている。塩炊きの煙である(図5参照)。

図5 平沼塩田付近(大港横浜之図の部分)
図5 平沼塩田付近(大港横浜之図の部分)

図2でもう1つ目を引くのが、左手の山手の丘を登る2つの急な階段だ。手前が浅間神社の元町百段、奧が大神宮の階段である。元町百段は被写体としても好まれ、図3の写真も前田橋の先の道から百段階段をとらえたものである。もう1つ、大神宮の階段もあったわけだが、こちらの写真は極めて少ない。その理由は、階段の途中に樹木が生い茂り、レンズの視界を妨げたからだろう。貞秀は細部まで忠実に描く絵師だが、この絵図でも大神宮の階段の途中に緑の木々を配している。

この誌面では見づらくて大変恐縮であるが、貞秀の2つの絵図によって、慶応の大火後、特に1868年から70年にかけて、横浜が激しく変貌していたことが確認できた。できれば、展示会場まで足をお運びいただき、それぞれ横幅1メートルほどのオリジナル地図をご覧いただきたい。

(伊藤泉美)

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