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「開港のひろば」第135号
2017(平成29)年2月1日発行

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企画展
横浜史料調査委員会と史跡選定

史跡の選定

委員会の昭和9年3月2日から同17年12月15日までの例会記録をまとめた「昭和九年二月例会記録 横浜史料調査委員会」(横浜市各課文書191)によると、第1回の例会は、昭和9年3月2日、大西一郎市長と委員全員が出席し開催された。その席で市長は、「(市内には史蹟がいくつかあるが)此際本市トシテハ、之等史蹟名勝ヲ永遠ニ伝フルタメニ一定ノ標示ヲ行ヒ、以テ一般ニ愛郷ノ心ヲ起サシムル一助トモナシ、且ツ又本市見学者ノタメニモ便宜ヲ計ル事ガ最モ必要ノ事ト考へ、茲ニ今回委員会ヲ設置」したと、設置の理由を述べた。委員会設置の目的が、「愛郷心」涵養のためと、横浜を訪れる観光客の便宜のための史跡標柱設置であった。引き続き栗原より「史蹟・名勝中何ヶ所ヲ選択シテ標示ヲ致ス予定カ」との質問があり、市長が「最初ハ先ツ凡ソ三十ヶ所位トシテ選考サレ度シ」と回答、事前に栗原に依頼してあった一覧より30ヶ所を選ぶこととなった。また聖蹟については、栗原より「御東幸ノ分丈ケト致シテハ如何」との意見が出され、承諾されている。

この時栗原より提出された「史蹟(名勝)標建立候補地」(加山道之助文書-横浜史料調査委員会2、以下加山道之助文書のうち横浜史料調査委員会に分類されている資料については、「加山史料」と記す)が提出され、検討された。この時提出された史跡は、聖蹟も含めて75ヶ所があげられていた。

また中山毎吉より、鶴見合戦を候補に取りあげてはどうかとの意見が出された。しかし山崎小三より「短日月ノ内ニ確定的ノ事ヲ云フテ、後ニ誤リノアッタ場合ニ困ルカラ、之ハ充分ノ研究ヲ遂ゲテカラニシタイ」と反対意見が出されている。山崎の発言にある、充分な研究が尽された「確定的」な史跡を選択することが、選考の基準の1つであった。

候補地は各委員が賛成する候補地全てに1点を入れ、その点数で決める「点取」で決められた。3月12日に開催された第2回の委員会では、「史蹟標建立候補地選考採点表」(加山史料-4)が資料として配付されている。採点表には8点を獲得した「神奈川行在所趾」から、3点を獲得した「横浜離宮趾」までの史跡・聖蹟27ヶ所があげられている。

4月11日には第3回の委員会が開催され、栗原より候補地の1つ「吉田橋関門趾」は「吉田橋」と「関門趾」に2分することが提案され、史跡・聖蹟は28ヶ所となった。ここで名勝の横浜公園と三渓園を加え30ヶ所としたものと思われるが、名勝についての選考過程は、委員会関係資料からは不明である。

第4回(5月11日開催)の例会では、史跡の名称についての検討と、加山が提出した資料「各地建設史蹟標型」(加山史料-11、図2)により史跡標のデザインの検討が行われ、東京府が八王子城趾に設置した石標の型とすることとなった。その後4度にわたり委員らが史跡・聖蹟の現場を見分し、標柱の設置場所を検討し、決定している。

図2 各地建設史蹟標型
当館所蔵 加山道之助資料-横浜史料調査委員会11
図2 各地建設史蹟標型 当館所蔵 加山道之助資料-横浜史料調査委員会11

昭和10年1月に開催された第9回の例会で、栗原より、その年に開催する復興博覧会までに石標の建設を急ぐよう意見が出され、第10回(3月11日開催)の例会では、博覧会の期日が迫りまた経費の面からも、石標を木製の高札に変更し博覧会開会までに建設することが了解され、史跡の選定、標柱のデザインと標柱に記す文言、設置場所等の検討を終えている。調査会の立ち上げからほぼ1年後のことだった。

その後委員会では、神奈川県より依頼のあった聖蹟調査を、主に委員の弦間が中心となって行った。また昭和11年10月、第4次市域拡張により久良岐郡金沢町・六浦荘村が磯子区に、鎌倉郡永野村が中区に編入されると、金沢町(現横浜市金沢区)方面の史跡調査・史跡標文案の検討を行っている。昭和14年4月には、第6次市域拡張により新たに市域となった旧都筑郡・鎌倉郡の史跡等についての検討を行った。

昭和15年9月の例会では、「聖蹟史蹟名勝名木指定ノ考査」が行われ、新たに追加指定する史跡と聖蹟が検討された。その結果、昭和16年3月、委員会長より市長に宛てた史跡名勝天然紀念物と名木の指定に関する答申が提出された(「史蹟名勝天然紀念物関係」横浜市各課文書188)。答申された内容は、「横浜市報」昭和16年4月17日号の横浜市告示第67号に掲載され、聖蹟3ヶ所、史跡6ヶ所、名勝1ヶ所、名木6本が新たに追加指定された。また同市報には、「本市内に於ける史蹟名勝天然記念物 従来指定されたるもの」として、聖蹟8ヶ所、史跡24ヶ所、名勝3ヶ所、名木17本が記されている。広報にある内容を一覧にしたものが、表1である。

表1 横浜の史跡・名勝一覧「横浜市報」昭和16年4月17日号による
区分 番号 名称 選考の時期・出典など

1 御東幸生麦御小休所址
2 御東幸神奈川行在所址
3 御東幸神奈川内侍所奉安所址
4 横浜離宮址
5 御東幸保土ヶ谷御小休所址
6 御東幸保土ヶ谷内侍所奉安所址
7 御東幸境木御小休所址
8 皇太子殿下御野立之址
9 影取御小休所址 [告示67]
10 戸塚行在所址 [告示67]
11 戸塚内侍所奉安所址 [告示67]

1 称名寺 「昭和11年度事務報告書及財産表」による
2 一里塚
3 生麦事件址 ○ ※
4 小机城址
5 神奈川御殿址
6 開港当初ノ和蘭領事館址 ○ ※
7 開港当初ノ仏国領事館址 ○ ※
8 開港当初ノ英国領事館跡 ○ ※
9 開港当初ノ仏国公使館跡
10 開港当初ノ米国領事館跡 ○ ※
11 神奈川台場址 ○ ※
12 権現山古戦場
13 開港談判応接所址 ○ ※
14 町会所址 ○ ※
15 東海鎮守府址
16 日本最初ノステーション横浜停車場址
17 日本最初ノ瓦斯会社址
18 神奈川奉行所址 ○ ※
19 金星観測所址
20 太田陣屋址
21 吉田橋関門址
22 日本最初ノ鉄橋址 ○ ※
23 異船見張所址
24 伊藤公別邸 「昭和13年度横浜市事務報告書」による
25 見附址 [告示67]
26 見附址 [告示67]
27 見附址 [告示67]
28 見附址 [告示67]
29 榎下城址 [告示67]
30 畠山重忠戦死之処 [告示67]

1 三渓園
2 横浜公園
3 金沢八景 「昭和13年度横浜市事務報告書」による
4 旧東海道松並木 [告示67]
  • 昭和16年横浜市報 告示67号で追加された聖蹟・史跡・名勝については[告示67]と記す
  • 昭和16年横浜市報 告示67号、「従来指定されたるもの」のうち、名木については割愛した。
  • ○印は、昭和10年に横浜史料調査会が選定した史跡28ヶ所。
  • △印は、選定の経緯が不明のもの。
  • ※印は、昭和29年開国百年祭の際選定された開国史跡(全12ヶ所)を示す。全12ヶ所のうち表に無い2箇所は「英一番館跡」・「外国宣教師宿舎跡(成仏寺)」。

なお表1で△印を付した、市報で「従来指定されたるもの」として記されている聖蹟「皇太子殿下御野立之址」については、昭和15年9月の「聖蹟史蹟名勝名木指定ノ考査」の際に候補の1つとして検討されているが(横浜市各課文書191)、昭和16年3月に市長に宛てた答申では、指定の候補にあげられていない。また「異船見張所址」については、委員会による史跡選定の経過を見る限り、その選定の経過は判明しない。いくつか経緯の不明な史跡もあるが、選ばれた史跡をみてみると、今日、横浜市民だけではなく横浜を訪れる人々にとっても、馴染みのある史跡が多い。史跡に選定されたことにより管理や保存が行われ、またガイドブックなどで取りあげられることで、記憶に残る場所となったのであろう。

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