HOME > 館報「開港のひろば」 > バックナンバー > 第134号 企画展 横浜開港資料館×宮内公文書館 明治天皇、横濱へ−宮内省文書が語る地域史−
「開港のひろば」第134号
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企画展
横浜開港資料館×宮内公文書館
明治天皇、横濱へ
−宮内省文書が語る地域史−
1854(嘉永7)年2月、ペリー率いるアメリカ使節の応接所となった横浜村は、1859(安政6)年7月の開港以降、日本の玄関口としての役割を担っていきます。この状況は明治維新後も変わらず、横浜は国際的な貿易港へと発展していきました。
一方、京都から東京へ住まいを移した明治天皇は、たびたび横浜を訪れ、政府の推進する近代化政策、「殖産興業」や「富国強兵」の場面に立ち会います。横浜は海外に開かれた港を中心に、近代日本の国家的行事の舞台になりました。もちろん、横浜の人びともそうした場面に遭遇していきます。
歴史を知るには、過去の出来事を記録した史料の存在が不可欠ですが、1923(大正12)年9月の関東大震災、さらに1945(昭和20)年5月の横浜大空襲によって横浜は多くの史料を失いました。しかし、横浜と交流のあった地域や国の機関には、横浜の歴史を語る史料が存在します。
例えば、宮内庁の宮内公文書館には、1889(明治22)年2月11日に発布された大日本帝国憲法や宣布詔書の原本とともに、高島嘉右衛門や原善三郎、茂木惣兵衛など、横浜区民の代表者が宮内省に送った祝詞が保管されており、憲法発布に対する人びとの反応がうかがえます。当時、横浜の町会所では、立憲国家の誕生と明治天皇の偉業を称える式典が催されていました。また、横浜在住の居留外国人たちも同様の祝文を送っており、宮内公文書館には、その原文と訳文が収められています。
このように市外の文書館が保管する史料から失われた横浜の歴史を再構築することができます。そこで本展示では、宮内公文書館所蔵史料と横浜開港資料館所蔵史料の双方から横浜の歴史を見るとともに、地域史の視点から明治天皇の姿を追っていきます。
(吉田律人)