横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第134号
2016(平成28)年10月28日発行

表紙画像

特別資料コーナー
女学生の修学旅行

「十一時出帆といふのに、十時頃になると、あちこちで、はやテープがなげられ、出帆の時刻は刻一刻と迫って行った。船腹をかざった赤・黄・青・緑の数百本が風にたなびいてゐる。と、けたゝましいドラの音に一せいに歓呼の声がわきおこった。テープは一本、又一本と切られていった。」

関西修学旅行への出航風景 『花橘』41号より 当館所蔵
関西修学旅行への出航風景 『花橘』41号より 当館所蔵

昭和7(1932)年に、写真の船で修学旅行に出発する女学生が書いた旅行記の一節である(『花橘』41号 神奈川県立横浜第一高等女学校校友会)。修学旅行の歴史は、明治19(1886)年に東京師範学校が行なった「長途遠足」から始まったといわれている。

神奈川県立高等女学校(のち神奈川県立横浜第一高等女学校と改称、現在は神奈川県立横浜平沼高等学校)の修学旅行は、明治36年10月に、生徒13名が参加した箱根一泊旅行を初めとする。その後、明治40年に日光旅行に行き、静岡、関西と続けられた。

昭和7年度は、一年生が逗子方面、二年生が大磯、三年生が箱根、四年生が日光、五年生は往路に初めて客船を使い関西旅行に行った。『関西地方修学旅行の栞』(神奈川県立高等女学校編)によれば、関西旅行は伊勢神宮・明治天皇伏見桃山陵を参拝し、近畿の諸地を踏査して「活ける研究」をすることにより知識を広め、精神を養い、身体を鍛錬するという目的で行なわれた。日程は、次のとおりである。

5月21日に横浜港から龍田丸に乗船し、船中泊。二日目は、神戸港に着き湊川神社を参拝後、須磨に立ち寄り、大阪で宿泊。三日目は、大阪城見学後宇治の平等院へ。その後桃山陵、嵐山に行き、保津川の屋形船に乗船。京都で宿泊した。四日目は、「京都名所遊覧乗合自動車」に分乗し、京都の名所・旧跡を見学。五日目は、比叡山、日吉神社、石山寺、三井寺を訪れ奈良で宿泊。六日目は、奈良市内をめぐり吉野へ行き宿泊。七日目に、吉野をまわった後、伊勢神宮内宮・外宮に参拝し、二見から鉄道で横浜に帰着した。

横浜市立高等女学校(現在は横浜市立桜丘高等学校)でも、四年生が関西への修学旅行に行った。「昭和十年度関西方面修学旅行日程」には、10月18日から24日まで7日間の日程が書かれている。費用は、1人24円だった。

両校とも、往路は龍田丸・浅間丸という日本郵船株式会社の外国航路の客船で神戸へ向かい、日程は前後するもののほぼ同様の場所を訪れ、鉄道で横浜に帰着した。かなり盛りだくさんの内容である。

秋の修学旅行のシーズンが到来した。11月2日から30日まで、常設展示室特別資料コーナーで、修学旅行関係の資料を紹介する。

(上田由美)

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