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「開港のひろば」第127号
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企画展
ガールズ ビー アンビシャス!
〜横浜山手のミッション・スクール〜
19世紀は宣教の時代でした。アメリカでは、1810年代から男性宣教師による海外伝道が開始され、日本には安政6(1859)年の開港を機に、宣教医ヘボンをはじめ男性宣教師とその家族が次々と来日しました。
一方アメリカでは、1830年以降、公立の小学校が全国に開設され、同時に小学校を卒業した女性が通うセミナリーまたはアカデミーと呼ばれる女子中等教育機関も誕生しました。小学校の急激な増加に伴う教師の不足は、セミナリー出身の女性が補うことになり、教師の職に就く女性が数多く誕生しました。
宣教への熱意は女性たちを動かし、1861年、女性による超教派の海外伝道会(米国婦人一致外国伝道協会)がニューヨークで組織され、女性による女性のための伝道が始まりました。各教派も婦人伝道局を立ち上げ、女性宣教師の派遣を開始します。女性への布教には女性宣教師の派遣が必要であり、女子教育を通じての伝道が効果的であると、教師を経験した女性たちが教育宣教師として海外に旅立ちました。
ヘボンの来日から10年後の明治2(1869)年、オランダ改革派の海外伝道団により日本に派遣されたキダーは、来日の翌年ヘボン夫人から学校を引き継ぎ、フェリス・セミナリー(現フェリス女学院)を開校しました。明治8(1875)年には山手178番地に校舎を建設します。明治4(1871)年には米国婦人一致外国伝道協会から派遣されたプライン、ピアソン、クロスビーの三人が、山手48番地に亜米利加婦人教授所(現横浜共立学園)を開設します。同教授所が山手212番地に移転した跡地に、明治13(1880)年、アメリカ・メソジスト・プロテスタント教会から派遣されたブリテンが、ブリテン学校(現横浜英和学院)を創設します。アメリカ婦人バプテスト海外伝道協会が派遣したカンヴァースは、明治19(1886)年、山手67番地に創設された英和女学校(現捜真学院)を引き継ぎ、明治24(1891)年には山手34番地に移転しました。
カトリックでは、フランスのサンモール修道会(現幼きイエス会)が明治5(1872)年に派遣したマチルドら5名の修道女が、山手83番地に日本最初の孤児院である仁慈堂を開設し、その後学齢に達した児童への教育機関として菫女学校を設けました。明治33(1900)年には、一般の女子を対象とした横浜紅蘭女学校(現横浜雙葉学園)を開校します。 本展示では、横浜の山手に誕生した五つの女子ミッション・スクールの歴史を、各校が所蔵する資料を通じてたどるとともに、ミッション・スクールが横浜の女子教育に果たした役割を考えます。
(石崎康子)