横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第122号
2013(平成25)年10月18日発行

表紙画像

展示余話
写真が語る震災復興
−O.M.プール関係資料から−

大桟橋の復旧とバラックの建設

横浜滞在中のプールは、復興が始まり、次々とバラックができていく日本人街に対し、「生き物をはぎとられてしまった外国人居留地と山手は、仮泊所をひとつ建てるための点在する小屋の一群を除けば、まったく不毛かつ荒廃状態のままであった。その後、木材が自由に入手できるようになるにつれて、もっと丈夫な小屋がいくつもできたが、それも主に桟橋の近くの場所でのことであった」と、山下町方面の復興状況を体験記に記している。

図1】〜【図5】はまさにそうした状況を物語っており、プールの記述を裏付けている。建物の様子を見ると、横浜の玄関口である大桟橋の周辺では、汽船会社の事務所を中心に木造のバラックが立ち並ぶ一方、山下町方面に目を転じると、いくつかの建物が点在するのみである。復興は大きく立ち遅れていた。

この時点で地震によって中心部分が水没した大桟橋は、残ったコンクリート部分を繋げる応急工事が施されており、陸地との接続も可能となっている。プールは大桟橋に停泊するタイウェイファング号で寝起きしつつ、自らの会社の再建にむけて奔走していた。

以上のように、プールの残した写真群は横浜の復興状況を捉えており、地震発生から復興期の間を埋める貴重な記録となっている。

(吉田律人)

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