横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第122号
2013(平成25)年10月18日発行

表紙画像

特別資料コーナー
ヘボンの息子サムエル・ヘップバーン旧蔵アルバム

サムエル・ヘップバーン(Samuel David Hepburn)は、ヘボン夫妻の二男にあたる。長男と3人の弟が早世したため、サムエルはヘボン夫妻のただ一人残された子どもであった。ヘボン夫妻は、1841(天保12)年から1846(弘化3)年の約5年間、中国宣教のためシンガポールやアモイに滞在したが、サムエルは、1844(天保15)年4月、アモイで誕生した。1859(安政6)年、夫妻はサムエルを知人に預け来日したが、サムエルは1865(慶応元)年に来日する。1873(明治6)年に一時帰国し、クララ(Clara E. Show)と結婚した。ヘボン夫妻も結婚式に出席し、祝福したという。サムエルは、横浜に住み、日本郵船に勤め、1896(明治29)年からは長崎に移転し、スタンダード石油の南日本担当部長として15年を過ごした。45年間を日本で過ごしたが、退職後帰国し、ヘボンの父サムエルが余生を過ごしたロック・ヘブンに暮らしたという。1922(大正11)年に亡くなった。

当館では、サムエル・ヘップバーン旧蔵の写真アルバムを1冊保管している(横浜プロテスタント史研究会寄託)。傷みが激しく、また写真もいくつか失われているが、サムエルが横浜で暮らした山手238番の家の写真や、仲間とゴルフをして過ごした際の記念写真(写真1)、大阪や奈良への旅行の際に撮影した写真など、1890年代後半から1910年頃までの写真が収められている。

写真1 長崎の南山手バックランド邸の庭に集うサムエル・ヘップバーンと仲間たち
後列左、ゴルフクラブを持つサムエル、後列中央はバックランド氏、その右がサムエルの夫人クララ。
写真1 長崎の南山手バックランド邸の庭に集うサムエル・ヘップバーンと仲間たち 後列左、ゴルフクラブを持つサムエル、後列中央はバックランド氏、その右がサムエルの夫人クララ。

サムエルは、1876(明治9)年に行われた居留地の外国人チームとアメリカ海軍選抜チームの野球の試合でピッチャーをつとめ、1882(明治15)年に行われたボートレースではコックス(舵手)をつとめるなど、スポーツ好きで知られているが、アルバムを見ると動物好きでもあったことも分かり、ほほえましい。

父ヘボンに比して語られることの少ないサムエルであるが、居留地の面影を残す貴重な写真が収録されたサムエルのアルバムを是非ご覧いただきたい。

(石崎康子)

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