横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第121号
2013(平成25)年7月13日発行

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展示余話
よみがえった一台の周ピアノ

イギリス系の音

再現された音は、狩野氏いわく、「さわやかで、軽やかなイギリス系の音」である。これは明治期以来、ドイツ系の技術で造られてきた日本のピアノ製造史の中では特異なケースという。

周筱生がピアノ製造の技術を学んだのは、上海のモートリー商会であった。モートリー商会はイギリス系のピアノ修理・販売を行う会社である。そこで修行を積んだ周氏の技術がイギリス系というのは納得がいく。文献でたどった周ピアノの技術の系譜を、再現された音が証明したのである。

横浜山手中華学校へ

2013年5月11日、中華街に近い、JR石川町駅前にある横浜山手中華学校で、周ピアノの歓迎会が開かれた。当日は土曜日で四限のホームルームの時間を使い、全校生徒と周家の方々、関係者が参加した。歓迎式では同校小学六年生の林友起さん・青木清光さん、また中学三年生の陳佳寧さん・三浦莉佳さんによる連弾演奏、チェンバロ奏者大木和音氏による演奏が披露された。この日に先立ち、中華学校では全校で周ピアノの歴史を学んだという。中華学校に寄贈されたことで、周ピアノの歴史が、次の世代へと受け継がれたことは大変喜ばしい。

図5 横浜山手中華学校での周ピアノ歓迎会
潘蘭英先生による周ピアノの伴奏で校歌を歌う生徒たち
図5 横浜山手中華学校での周ピアノ歓迎会 潘蘭英先生による周ピアノの伴奏で校歌を歌う生徒たち

マス・メディアを通じて

今回の一連の出来事はマス・メディアにたびたび取り上げられた。東京新聞志村彰太記者の「周ピアノ 横浜中華街に幻のメーカー」(2013年2月20日)で丁寧に紹介されたことがきっかけとなり、取材があいついだ。共同通信からも配信され、日本経済新聞、毎日新聞、信濃毎日新聞、The Japan Timesなど各紙やネットで紹介された。朝日新聞でも「幻の周ピアノ 中華街に帰る」(4月5日夕刊)と詳しく報じられた。さらに新美南吉との関係もあり、読売新聞中部本社版では「民家の古ピアノ 南吉の同僚」(3月21日)、また朝日新聞名古屋本社版「南吉に届け 周ピアノ」(4月3日)と報じられた。また、5月11日の中華学校での歓迎会についても、朝日新聞、神奈川新聞、共同通信、東京新聞、テレビ朝日、NHK、毎日新聞、読売新聞などで広く報じられた。

中華街、華僑の職業といえば、中華料理との固定観念が広まっている中で、華僑がピアノを造ったという史実の意外性が注目された。実は、中華街に中華料理の店が増えたのは昭和になってからのことだ。幕末から明治期にかけて、横浜にやってきた華僑の多くは、洋館建築、ペンキ塗装、洋裁など、当時の日本にまだなかった技術を身につけた職人たちだった。日本へ西洋近代の技術を伝えたチャネルの一つが華僑であった。周ピアノの報道を通じて、そのことの一端が広く知られた。

調べる、直す、伝える、教える、奏でる。今回の周ピアノ修復プロジェクトでは、いろいろな立場の人の、それぞれの思いが重なって、周ピアノの歴史が広まり、一台のピアノの音がよみがえり、多くの方々の耳に届いた。関わった一人ひとりに感謝申し上げる。

今年7月20日には、安城市歴史博物館で新美南吉生誕百年記念特別展「南吉が安城にいた頃」が開かれる。周ピアノは一旦安城市に戻って展示され、オープニング・セレモニーで演奏されるという。 1923年の関東大震災で初代周筱生が亡くなってから、今年はちょうど90年。この節目の年によみがえったピアノの音を、あの世の筱生はどう聞いているだろうか。

(伊藤泉美)

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