横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第121号
2013(平成25)年7月13日発行

表紙画像

展示余話
よみがえった一台の周ピアノ

国民的童話作家、新美南吉の「同僚」

この周ピアノには所有者の来歴を示す手掛かりがある。付属の椅子に「安城高等学校」、ピアノ本体には「備品」の刻印がある。愛知県立安城高等学校は戦前の安城高等女学校で、「ごんぎつね」の童話で有名な新美南吉が教鞭をとっていた。今年はちょうど新美の生誕百年にあたり、安城市歴史博物館の天野信治学芸員が調査したところ、新美が同校に赴任した翌年の昭和14年度(1939)の卒業アルバムに一枚の音楽教室の写真があり、その片隅にピアノが写っていた。拡大してみたところ、周ピアノ特有の前面のデザインと燭台の留め金が認められた。戦前の周ピアノの写真が発見されたのは、初めてである。このピアノは戦後しばらくまで学校にあり、その後同校教師であった方が所有し、昭和40年頃矢羽々氏の御両親がこの方から譲り受けたという。

図3 安城高等女学校時代の周ピアノ 昭和14年卒業アルバムより
鵜飼文氏所蔵、安城市歴史博物館提供
図3 安城高等女学校時代の周ピアノ 昭和14年卒業アルバムより 鵜飼文氏所蔵、安城市歴史博物館提供

故郷の横浜へ

2009年に拝見した段階では、正直、ピアノの状態はよくなかった。製造後百年近い年月が経ち、前面および蓋の部分に大きな亀裂が入っていた。燭台も留め金部分以外は失われていた。

矢羽々氏より依頼を受け、ピアノの引き取り先を探すことになった。なんとか故郷の横浜、できれば中華街に戻したい。そこで、横浜華僑総会名誉会長の曽梵[氏に相談したところ、翌2010年に横浜山手中華学校が移転新築されるので、その記念に譲り受けたいとの意向を示された。

修理に4年の歳月

受け入れ先が決まり、次は修理が問題となった。生徒には本物の周ピアノの音を聞かせたい、との曽氏の意向を受けて、本格的な修理を施すことになった。

そこで、すでに周ピアノの修理を手掛けており、クラシックピアノの修復にかけては国内を代表する職人の一人、アルト・ノイ・アーティストサービス(入間市)の狩野真氏にお願いすることになった。

オリジナルの音を再現すべく、なるべく当時の部品に近いものを探して修理することになった。例えば弦を張る調律ピンは、現在一般的なバキューム・プロセッサーによるピンを使わず、当時同様のねずみ鋳鉄を使った。音に奥行きが出ると言う。弦の太さは、ピアノの構造などから計算してはじき出した。また弦とそれをたたくハンマーの関係も調和が必要であるため、ハンマーに使うフェルトは、柔らかいドイツ製を使用した。日本製のフェルトは漂白されていて油分が少なく、固いからだという。

木工部分は狩野氏とタッグを組む、富田ウッドワーカーの富田豊治郎氏が受け持った。この周ピアノは響板には松材が、本体には樺材が使われている。蓋などに大きな亀裂が入っていたが、木のゆがみを短期間で矯正してはならず、時間をかけて自然に修復されるのを待つことが必要であった。修復四年の時間の大半は、それに要した時間であった。

当時のピアノには楽譜と鍵盤を照らす蝋燭をたてる燭台がついていたが、このピアノは留め金部分をのぞいて失われていた。そこで狩野氏がイタリアのレッチェで当時の燭台に近いものを探し、とりつけた。なお、今回、ピアノの側面に飾り取手が付けられたが、これはオリジナルの周ピアノにはなかったことを明記しておく。

図4 修復後の周ピアノ 2013年5月撮影
図4 修復後の周ピアノ 2013年5月撮影

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