横浜開港資料館

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「開港のひろば」第121号
2013(平成25)年7月13日発行

表紙画像

特別資料コーナー
横浜の山車(だし)

祭礼のときに市中にくり出される山車は、現在も全国各地に残るが、明治期の横浜にも巨大で華やかな山車があった。

当館ホームページで公開されている「横浜歴史画像集」の「幕末・明治期風俗写真」には、明治23(1890)年、法被(はっぴ)に「祝国会」の文字を入れて国会開設を祝い曳(ひ)きまわされた、本町3丁目の山車の彩色写真を見ることができる。上部を人形で飾り、先頭部に金色の鳳凰(ほうおう)をあしらった豪華な山車で、牛が曳いた。このような人形を置く形式の山車は「江戸型」と呼ばれる。

新年の神奈川県庁周辺にくり出された本町の山車
『絵入りロンドンニュース』1872年1月13日号 当館蔵
新年の神奈川県庁周辺にくり出された本町の山車 『絵入りロンドンニュース』1872年1月13日号 当館蔵

この山車は、明治3(1870)年4月14日の伊勢山皇太神宮遷宮祭の際に調製された、本町1〜4丁目の山車の一つである。本町の山車の「本町」とは本町・海岸通・元浜町・南仲通・弁天通をふくむ区域で、人形は、1丁目が天照大神(あまてらすおおみかみ)、2丁目が日本武尊(やまとたけるのみこと)、3丁目が神功皇后(じんぐうこうごう)、4丁目が八幡太郎。江戸以来の人形師・仲秀英(なかしゅうえい)の作品であった。少し距離をおいてみた『絵入りロンドンニュース』の挿絵によると、山車は群衆のなかから突出した存在で、地面から人形の頭部までの高さは、7〜8メートルはあると思われる。

伊勢山遷宮祭での、本町4丁目山車の練子(ねりこ)・芸人の陣容が判明する「御祭礼出シ練子芸人名前帳」(当館蔵・木版摺)によれば、山車は手古舞(てこまい)70名・警固60名を前に、踊り屋台を後ろにしたがえていた。踊りの振り付けは西川流家元がつとめ、ローティーンの踊り子4名が舞った。浄瑠璃は四世清元延寿太夫(きよもとえんじゅだゆう)がつとめた。実に豪華な陣容である。

山車は、ふだんは分解されて各町の豪商の蔵に保管され、毎年の祭礼には人形のみが飾られた。米国前大統領グラント将軍歓迎、憲法発布、開港五十年祭などの大盛事にかぎって、本町の山車は組み立てられて市中にくり出し、その天を衝く雄姿を横浜市民のまぶたに焼きつけたのであった。

特別資料コーナー「横浜の山車」は8月1日(木)から31日(土)まで。

(平野正裕)

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