HOME > 館報「開港のひろば」 > バックナンバー > 第121号
「開港のひろば」第121号
|
企画展
被災者が語る関東大震災
平成23(2011)年3月11日午後2時46分、宮城県沖を震源域とするM9.0の地震(東日本大震災)が発生し、東北地方を中心に甚大な被害をもたらしました。被災地では現在も不自由な生活が続いています。まさにそれと同じ状況が今から90年前の横浜でも起こりました。関東大震災です。
大正12年9月1日午前11時58分、相模湾を震源域とするM7.9の地震が発生し、横浜は激しい揺れに襲われました。多くの建物が倒潰し、市民はその下敷きとなりました。写真は震災直後の常盤町(現・中区)付近をとらえた一枚です。木造の住宅は倒潰し、土埃が舞い上がっています。また、屋根に逃れる人や周囲を見渡す人、下敷きになった人を救出しようとする人なども確認できます。地震は一瞬にして市民の日常生活を奪っていきました。
さらにこの写真は焼失前の横浜を撮影した貴重な一枚でもあります。撮影したのは常盤町において写真館を営んでいた岡本三朗というカメラマンでした。岡本は震動がおさまった後、自らのカメラに被災地の状況をおさめていきます。同じようにカメラを携えた人びとはレンズ越しに被災者の姿をとらえていきました。当時のカメラマンたちの機敏な対応は写真や映像という形で現在も残っており、私たちに関東大震災の惨状を伝えています。
その後、横浜市内では、200ヶ所以上の地点から火災が発生し、炎は強風に煽られて急速に燃え広がっていきました。安政6(1859)年の開港以来、国際的な貿易都市として発展してきた横浜は僅か一日で焼け野原となり、最終的な死者・行方不明者数は約2万6000人に上りました。まさに横浜は地震によって壊滅的な打撃を受けたのです。
そうしたなか、難を逃れた人びとは日記や回顧録、書簡などに自らの体験を記していきます。猛火を避けて横浜港の船に助けられた外国人、住む家と学校を失い急ごしらえのバラックで過ごした子どもたち、やむなく横浜の地を離れて故郷を目指した人びと、そして横浜の危機を救うべく遠い地から駆けつけた人びとなど、関東大震災の体験は人それぞれです。それらの貴重な体験は現在の私たちに多くの示唆を与えくれます。
本展示では、震災を生き抜いた人びとが残した記録やエピソードを紹介しつつ、横浜の被災から再起までの過程をたどっていきます。過去の災害から教訓を得るためにも、被災者の言葉に耳を傾けてみましょう。
(吉田律人)