横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第119号
2013(平成25)年1月30日発行

表紙画像

企画展
発見!ウィリアム・ヘーグの写真

写真3の裏には、「April 6th 1918, Outside British Embassy Tokyo after winning challenge cup against Yokohama. Tokyo 2 Yokohama 1」と記され、メンバー一人一人の名前が記されている。前列中央にヘーグが写っているが、彼の前、前列中央の台の上にカップが置かれている。この写真の撮影者は不明である。

写真3 横浜チームとの対戦後、東京の英国大使館に集合した東京チーム
中列の中央、白い服を着た男性がヘーグ YC&AC所蔵
写真3 横浜チームとの対戦後、東京の英国大使館に集合した東京チーム 中列の中央、白い服を着た男性がヘーグ YC&AC所蔵

ア式サッカー・チャレンジ・カップ(Association Football League Challenge Cup)と称し開催された試合は、「横浜貿易新報」や「ジャパン・ガゼット」に記載がないため詳細は不明である。メンバーも所属は不明であるが、写真1の横浜チームのメンバーには、前身頃の左右の色の違うYC&ACのユニフォームを着ている人がいることから、YC&ACのメンバーも含まれていたのであろう。

そして2枚の写真に写るカップは、どのような由来のカップであろうか。『日本サッカーのあゆみ』(日本蹴球協会編 1974年)62頁には、大正12年正月に始まった全国高等学校選手権大会で、第1回・2回と連続して優勝した早稲田高等学院の主将鈴木重義が優勝カップを持つ写真が掲載されている。そのカップと2枚の写真に写るカップが大変似ていることを指摘しておきたい。

関東大震災によるヘーグの死去を悲しみ、震災の年の12月23日、ヘーグの追悼会と追悼試合が行われた。追悼会と追悼試合の世話をした井染道夫は、ヘーグについて「白いセーターに紺のパンツ、太った体をポストの間に運び、いつも童顔をニコニコさせてゴールを守っていた姿は、いつまでも忘れられない」(『日本サッカーのあゆみ』)と手記に記している。2枚の写真に写るヘーグは、井染の記述通りにこやかに笑い、彼の人となりを彷彿とさせる。

今年は関東大震災から90年目の年であり、ヘーグ没後90年目にあたる。ヘーグが尽力しイングランド・サッカー協会より贈られたFA杯は、第二次世界大戦の際に軍に供出され失われてしまったが、一昨年イングランド・サッカー協会より2代目シルバー・カップが贈られ、昨年から元日の天皇杯勝者に贈られている。

展示では、ここで紹介したYC&AC所蔵の写真を展示している。是非ヘーグに会いに来ていただきたい。

なお当館の旧館1階には、関東大震災で亡くなったヘーグを含め英国総領事館職員4名の名が刻まれた銅板のプレートが掲げられている。展示とともにご覧いただきたい。

YC&AC所蔵資料の調査および展示出陳にあたっては、YC&ACの代表サイモン・リツスター氏、アーロン・クライマン氏、依田成史氏ほか多くの方のお世話になった。記して謝意を表します。

(石崎康子)

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