横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第119号
2013(平成25)年1月30日発行

表紙画像

企画展
発見!ウィリアム・ヘーグの写真

今回の展示開催にあたり、YC&ACが所蔵する資料を調査させていただく機会を得た。またいくつか貴重な写真をお借りし、展示させていただいたが、なかでもウィリアム・ヘーグの写真の所蔵を確認し、借用することができたのは、大きな成果であった。ここではYC&ACが所蔵するウィリアム・ヘーグの写真について、紹介したい。

YC&ACとは

YC&AC(横浜カントリー・アンド・アスレチック・クラブ)は、横浜の居留外国人のためのスポーツ・クラブである。設立の母体となったのは、慶応4(1868)年に英国人貿易商ジェームス・P・モリソン(James Pender Mollison)が中心となり設立されたYCC(横浜クリケット・クラブ)である。YCCは、明治6(1873)年、現在の横浜公園内にクリケット・グラウンドを整備し、クラブ・ハウスも建設した。YCC設立以前に、山手に駐屯していた英国第20連隊の有志が慶応2(1866)年に横浜フットボール・クラブ(YFBC)を設立しており、明治になるとYAAA(横浜アマチュア・アスレチック・アソシエーション)、YBBC(横浜ベース・ボール・クラブ)が設立されたが、その3団体は、明治17(1884)年にYCCに吸収合併され、YC&AC(横浜クリケット・アンド・アスレチック・クラブ)と改組された。

居留地が撤廃された明治32(1899)年当時、YC&AC以外にも横浜には外国人のスポーツ・クラブとして、LLTC(レディース・ローン・テニス・クラブ)、NRC(日本レース・クラブ)、YARC(横浜アマチュア・ローイング・クラブ)などがあったが、YC&ACが最も大きな組織であった。

YC&ACは、明治44(1911)年、中区矢口台に新グラウンドを造成し、移転することとなった。またユニオン・クラブが新たに吸収合併されたこともあり、YC&ACは、大正元(1912)年に解散し、新たにYC&AC(頭文字は同じであるが、横浜カントリー・アンド・アスレチック・クラブ)が組織された。新生YC&ACの新しい矢口台のグラウンドが完成したのは、大正2(1913)年であった。その後、関東大震災と第二次世界大戦の空襲による2度のクラブ・ハウスの焼失や、戦後の米軍接収などを経て、現在も矢口台で活動を続けている。明治3(1870)年に創設されたKR&AC(神戸レガッタ・アンド・アスレチック・クラブ)と並んで、日本を代表する在留外国人のスポーツ・クラブである。

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