横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第119号
2013(平成25)年1月30日発行

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資料よもやま話
横浜のメディア・スポーツ・イベント

はじめに

明治・大正時代を通し主要なメディアであった新聞は、明治初年からスポーツに関する記事を掲載していたが、日清戦争後、部数の拡張をはかるため、新聞社自らがイベントを企画し報道するという動きが出てきた。その始まりは、明治34(1901)年11月の『時事新報』主催「十二時間長距離走」である。一般から選ばれた選手が東京上野の不忍池を12時間周回し、その距離を競うというもので、運動競技界に新機軸を打ち出すという目的を掲げながら読者の興味を引き、多くの観客を動員した。横浜でも話題になったらしく、生麦村(現在鶴見区)の関口昭知が記した「関口日記」にも「時事新報懸賞競走会見物ヲ掛出京」の記述がある。

横浜では、『横浜貿易新報』が横浜有志連合競艇会の競漕会に優勝旗を寄贈したり、競馬の勝馬を当てる懸賞を行なったり、ビリヤード大会や相撲常設館での相撲の勝ち抜き戦を企画したりしていたが、本格的なスポーツ・イベントは、自転車長距離競走から始まった。当初は読者獲得の面が強かったが、次第に青少年に対する社会教育の役割も果たすようになっていく。

平成22年の横浜開港資料館企画展示「地域メディアの誕生」で、スポーツ・イベントも紹介した(『開港のひろば』108号)が、ここでは、明治・大正期に横浜貿易新報社が主催した主要なスポーツ・イベントである自転車長距離競走、海水浴場と水泳教授部、マラソンと駅伝、神奈川県下野球大会をとりあげたい。

自転車長距離競走

自転車競走は、明治20年代終わり頃から横浜在住の外国人によって行なわれてきたが、横浜貿易新報社では、明治40年6月に自転車長距離競走を開催した。競走区間は、横浜を中心として東は東京、西は小田原、南は鎌倉を経て三崎に至り、北は原町田を経て八王子まで、東西南北に四区間往復約390キロメートルを一日で走破して、タイムを競うというものだった。

図1 自転車長距離競走の結果 『横浜貿易新報』明治40年7月2日付
図1 自転車長距離競走の結果 『横浜貿易新報』明治40年7月2日付

募集人数の倍以上である25名が応募し、横浜・横須賀・東京などから16名の選手が選ばれた。大会までは、連日出場選手の写真と練習風景が掲載され、大会後には記念写真を掲げ、成績優秀者3名の手記を連載した。出場者募集の時点から、紙面に自転車愛好団体などから寄贈された懸賞品を掲載したが、石川商店のように自転車を販売する商店からの寄贈も多く、選手の乗る自転車の機種名が記載されていたこともあり、広告の役割も果たしていた。

賞品は全区間の一着から五着までと、それぞれの区間の一着に贈られた。読者獲得のため、競技の往復に要する時間を当てる懸賞も行なわれ、賞品は新聞の無料購読であった。

自転車長距離競走は競技を見る楽しみを人々に与え、自転車愛好家を増やすきっかけにもなったようである。明治43年と翌年には、新聞読者が参加し交流をはかることに主眼を置いた自転車遠乗り会が、行われている。

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