横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第117号
2012(平成24)年7月19日発行

表紙画像

資料よもやま話
横浜におけるインド人の歩み
〜アドバニ家の足跡を中心に

関東大震災とインド商人

1923年9月1日の関東大震災は横浜のインド商人に大打撃を与えた。山下町一帯は壊滅的な状況であったため、ほとんどのインド商人は神戸・大阪に避難するか、本国に引き上げた。

翌1924年、震災復興をはかる中で、日本絹業協会が横浜市より低融資を受け、山下町76番地と同202番地にインド商人専用の店舗兼住宅を建設した。10月末には神戸からインド商館一六館が横浜に復帰した。その中には、ペソマル・ムルチャンドとタラチャンド・パースラムが含まれていた。1925年版のJDでも、ペソマル・ムルチャンド商会Pessoomull Mulchandのマネージャーとして、H・P・アドバニの名前が確認される。アドバニ家とその親戚が、いち早く横浜に復帰した様子がわかる。

インド人クラブ

インド商人の増加もあり、1921年2月24日、社団法人横浜比無度協会が設立認可される。横浜のインド人の商業上の利益保護を目的とし、山下町275番地に開かれた。この会の設立者の一人がG・B・アドバニで、チャンドル氏の父である。なお、すでに1920年版のJDにThe Indian Clubの記載があるので、会そのものの発足は前年1919年である。

1922年5月19日に「横浜インド商協会」と名称が変更登記されるが、JDでは1922年版から同じ番地に、The Indian ClubとThe Indian Merchants’ Association of Yokohamaの二つが記載されている。

震災後の1932年には山下町24番に移転し、翌33年にインド・クラブの建物が竣工した。

図2は1940年に撮影されたインド・クラブの建物とメンバーの集合写真である。玄関は水町通り側に面していたが、これはテニスコートの側から写されたものだ。この建物は空襲の被害を免れる。図3は1950年代後半に撮影された山下町付近の空撮写真の一部である。下部中央に、特徴ある三角屋根と急な木製階段を持つインド・クラブの建物、また元のテニスコートが確認できる。この建物は、1995年に取り壊され、現在同地にはマンションが建ち、その中に社団法人横浜印度商協会が入っている。

図2 インド・クラブ 1940年 (有)サダニー保険代理店提供
この写真について、一部の印刷物の『開港のひろば』117号では、
「ナリン C・アドバニ氏提供」と記しましたが、誤りです。
訂正してお詫びいたします。
図2 インド・クラブ 1940年 (有)サダニー保険代理店提供
図3 1950年代後半の山下町一帯 横浜市史資料室提供
中央下部にインド・クラブ、右上端に接収中の山下公園が見える。

図3 1950年代後半の山下町一帯 横浜市史資料室提供 中央下部にインド・クラブ、右上端に接収中の山下公園が見える。

戦中・戦後

1930年代・40年代の日印関係は複雑な様相を呈する。日英関係が緊張する一方で、日本政府は英国植民地からのインドの独立運動を支持する。またこの頃横浜では山下公園のインド様式の水呑台、インド水塔が竣工する。これは横浜在住のインド商人が関東大震災の際に横浜市民から受けた援助に感謝し、横浜市に寄贈したもので、1939年12月に落成式がおこなわれた。その頃横浜には40あまりのインド商館があった。しかし、戦時下においては貿易関係が途絶え、横浜のインド商人の大半は帰国する。

インド人が再来するようになるのは、1952年以降である。横浜では再びインド商人の復帰策が講じられ、同年中に中華街付近の74番地・95番地・156番地などに店舗兼住宅が建設された。チャンドル氏が来日したのは、まさにこの時期であった。

その後貿易会社ネフューズ・インターナショナルを設立し、日本の電気器機のインド輸出をてがける一方、横浜ムンバイ友好都市提携にも尽力され、2008年には横浜文化賞を受賞された。在住60年近くとなるチャンドル氏は、この7月23日、米寿の誕生日を横浜で迎える。

本稿作成にあたり、チャンドルG・アドバニ、ナリンC・アドバニ、ウィリアムス・ムケーシュ、鈴木晶、土田建二、寺本羽衣、西村幸浩の各氏にご教示を得ました。謝意を表します。

(伊藤泉美)

*10月初旬より横浜ユーラシア文化館で、ヒンドゥー美術の特別展「インドの神さま女神さま(仮称)」と同時に、ミニパネル展「横浜におけるインド人の歩み(仮称)」(横浜開港資料館共催)を開催する予定です。

図4 チャンドル G・アドバニ氏(右)とご子息ナリン C・アドバニ氏(左)
2012年5月撮影

図4 チャンドル G・アドバニ氏(右)とご子息ナリン C・アドバニ氏(左) 2012年5月撮影

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