横浜開港資料館

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「開港のひろば」第116号
2012(平成24)年4月21日発行

表紙画像

資料よもやま話
アパレル「商標」あれこれ

プライベート・チョップ

資料所蔵機関があつかう「商標」とは、生産者・出荷者ないしは、特定の図柄がデザインされた“紙片”であって、「プライベート・チョップ」と呼ばれる。「ラベル」と称する向きもあるが、貼られるものばかりではなく、また貼られるものでも、貼られる前か、あるいは剥離していないと紙資料としてはあつかえない。スリーダイヤのようなトレードマークは、意匠(デザイン)として存在するが、“紙片”上に表現されて、はじめて資料となる。

横浜開港資料館は、ぼうだいな数の「商標」を所蔵している。その最大は生糸商標である。すでに『開港のひろば』114号(2011年10月号)に、「生糸商標の誕生」として書いたが、生糸商標の始まりは、1875(明治8)年とするのが定説である。横浜開港直後は、ヨーロッパに向けて飛ぶように売れていた日本の生糸は、明治初期には外国から粗製濫造との批判が届くようになっていた。福島県二本松の佐野理八は、農家の家内工業として生産される生糸を買い集め、その“上品”にのみ「娘印」の商標をつけて横浜に出荷し、信用を得た。現代でも農作物に、生産者名と顔写真をつける事例があるが、市場の信用をえるうえで、生産者・出荷者表示は、シンプルかつ効果的な手段である。

佐野は器械製糸「二本松製糸会社」(1873年6月創業)も経営した。二本松製糸の工場をデザインした商標【図2】を佐野が使用したのは「娘印」とかけ離れた時期ではないだろう。佐野の商標をつけて横浜に出荷する試みは、他者(社)も追随してゆくが、いまだ商標に関する法律・条例はなかった。横浜開港資料館が所蔵する『商標類鑑』は、法制以前の商標を集めて、貼付した冊子である。

図2 「二本松製糸会社」の生糸商標
 「商標類鑑」所収
 横浜開港資料館蔵
図2 「二本松製糸会社」の生糸商標 「商標類鑑」所収 横浜開港資料館

日本初の商標法規である「商標条例」は、1884(明治17)年6月に発布され、同年10月1日に施行された。施行初日に出願した製糸家には、群馬県では前橋勝山善三郎、長野県では諏訪郡矢島惣右衛門器械・中山社・東英社・白鶴社(はっかくしゃ)・開明社、北安曇郡得信社、上伊那郡太陽社、下伊那郡伊那製糸会社などがあった。「商標条例」施行当初、経営者である東京の大商人川村傳衛の名字をとってまことにシンプルな「K」の商標登録をした栃木県大オ(おおしま)製糸所【図3】は、のちに他と同じような銅版画に金・銀をのせた精緻な商標に替えている【図4】。奢侈品で外見上の格差が一般には判明しづらい生糸は、相応の高級感を商標で表現したほうが好都合であったのかもしれない。

図3 大オ製糸所の「K」の商標
 1885年8月8日登録
 横浜開港資料館蔵
図3 大オ製糸所の「K」の商標 1885年8月8日登録 横浜開港資料館蔵
図4 大オ製糸所の工場外観の商標 〔明治中期〕横浜開港資料館蔵
図4 大オ製糸所の工場外観の商標 〔明治中期〕 横浜開港資料館蔵

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