横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第116号
2012(平成24)年4月21日発行

表紙画像

展示余話
「写真後景画師(しゃしんこうけいがし)」下岡蓮杖(しもおかれんじょう)父子
-笠原彦三郎(かさはらひこさぶろう)旧蔵資料から-

当館では、2010年5月に横浜市史資料室と共同で新潟市の笠原製菓写真館が所蔵する下岡蓮杖関係資料を調査し、同年、同関係資料(「笠原彦三郎旧蔵資料」)のうち約七〇点を、中島良行氏よりの寄付金により購入した。その一部を「フォトスタジオの聖地・横浜」で初公開したが、この場を借りて改めて紹介することにしたい。

笠原彦三郎

笠原製菓写真館の創始者は、笠原彦三郎。明治30年2月11日、新潟県西蒲原郡漆山(現在、新潟市蒲原区)にはじめ製菓業の店を出し、その3年後の明治33年7月22日に写真業を開業した。製菓業では松葉饅頭などが好評を博す一方、写真業では人物写真を得意とした。創業10周年を記念して刊行された『真の友』には、次のように謳われている。

写真ハ創業十週年間一意専心野外人物ノ撮影ニノミ従事致シ、野外人物撮影トシテハ他人ノ到底企及ハザル笠原式特得ノ妙技ヲ研究発明致シ候ニ付キ、何卒旧ニ倍シ御引立ニ預リ度、御一報次第地球ノアル処何処マデモ出張撮影可仕候

笠原自身の随想「写真創始ノ動機」によると、12〜3歳の頃から写真の世界に興味を抱き、新潟の写真師・和田久四郎等の立志談を聞くなどして、写真館開業への思いを固めるようになったという。

明治32年頃、隣村の写真師・富山孝治に教えを乞うたところ、「写真の義は人より噺を承り且つ書籍を観たくらいの事では迚も判然する事は出来難し…同業人より縷々御伝習可被成、拙者の考には百円以下の資本ならば勝利難保、二十円や三十円位の器械品はなぐさみ物なり」との返書を貰い、地方で写真館を開業することの厳しさを突き付けられた。

以来、金沢巌『写真及幻灯 日用百科全書第三八編』(博文館、明治32年)と村井弦斎『小説 写真術』(春陽堂、明治30年5月)などを頼りに独学で写真術を学んだようである。創業時の様子を伝える資料はほとんど無いが、東京神楽坂に写真館を構える森本蓼洲よりの書簡(明治36年4月30日)があり、その中で四つ切写真の撮影方法の教示を受けている。このほか東京の山田真柳・江崎礼二(えざきれいじ)・前川謙三(まえかわけんぞう)(後に横浜で開業)等著名な写真家からの書信が数通含まれており、独学に加えて東京や新潟の写真館から、必要に応じて撮影技術等に関する情報を得ていたことが推測される。

写真1 87歳の下岡蓮杖 小川一真撮影
 (当館蔵「笠原彦三郎旧蔵資料」)
写真1 87歳の下岡蓮杖 小川一真撮影(当館蔵「笠原彦三郎旧蔵資料」)

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