横浜開港資料館

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「開港のひろば」第116号
2012(平成24)年4月21日発行

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企画展
横浜の海七面相
幕末・明治編
大正・昭和編

今回の企画展は、公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団が運営する横浜開港資料館と横浜都市発展記念館が共同で開催するもので、当館では幕末・明治の横浜の海の歴史を、横浜都市発展記念館では大正・昭和の横浜の海の歴史を紹介します。横浜の海といえば、横浜港とそこで繰り広げられた貿易を思い浮かべることが多いと思いますが、横浜の海は国際港としての顔だけでなく多様な顔を持ってきました。

江戸時代から高度成長までの海辺には多くの漁村があり、そこで獲られた魚は各地に出荷されました。また、横浜の海は地域流通や交通の拠点であり、首都である東京(江戸)、対岸の房総半島、近隣の三浦半島や相模湾の港と横浜の海は船を利用して深く結びついていました。さらに、神戸・長崎を始めとする国内各地の港と横浜港を結ぶ航路には多くの客船が就航していました。

一方、横浜の海は風光明媚な場所であり、海岸部は観光地や別荘地として発展し、東京(江戸)などから船遊びに訪れる人も多くいました。これに加えて、横浜の海は国際港を擁していたため、世界の文化が交流する海でもあり、海を通じて世界中の文物が行き交いました。また、横浜の海は首都に近かったこともあり、ペリー来航以来、諸外国との通商条約の締結や世界各国の軍艦などが寄港するなど、政治や外交の舞台になることも多く、人々は横浜の海でおこなわれた外交イベントを通じて時代の移り変わりを実感することになりました。

展示では、こうした横浜の海の歴史を振り返りますが、現在、横浜の海では埋立が進んだため、観光地化した地域を除けば、海は人々の暮らしから遠く離れた存在になってしまいました。展示を通じて、横浜の個性の源のひとつである海が持っていた魅力を見つめ直していただければと思います。なお、今回の展示では、より多くの海に関する資料を展示し、幕末から現在に至る横浜の海の歴史をより深く知っていただくために、当館と横浜都市発展記念館の二つの会場を使用いたしました。どちらかひとつの展示を見るだけでも楽しんでいただけるように工夫いたしましたが、当館の展示を御覧いただいた後に、横浜都市発展記念館にも足を運んでいただけましたならば、これに勝る喜びはありません。

(西川武臣)

本牧海岸での潮干狩り 横浜開港資料館蔵
本牧海岸での潮干狩り 横浜開港資料館蔵

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