横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第116号
2012(平成24)年4月21日発行

表紙画像

企画展
「横浜の海 七面相」出品資料の中から
−絵画・古記録に見る海の歴史−

「富岡海荘図巻」に描かれた横浜の海

江戸時代から明治時代の横浜の海岸部には、風光明媚な観光地として知られた場所が多くあった。なかでも現在の金沢区には金沢八景をはじめとし景色の良い場所があり、明治時代になると、こうした地域には政治家や文化人の別荘が建てられるようになった。たとえば、太政大臣や総理大臣を歴任した三条実美は、明治21(1888)年に現在の金沢区富岡東2丁目の海岸に別荘を建てた。また、明治初年に殖産興業政策を推進した松方正義は、富岡東4丁目の慶珊寺の前に別荘を持った。さらに、初代総理大臣をつとめた伊藤博文は、明治30(1897)年に現在の金沢区乙舳町に別荘を建築し、この別荘は明治政府の要人たちが訪れる場所になった。

写真3】は、現在の金沢区の海岸部を中心に中区本牧から横須賀市の観音崎までの海岸を描いた絵巻である。この絵巻は富岡に別荘を持った三条実美が、明治22(1889)年に日本画家の荒木寛畝に描かせたもので、現在は埋立によってなくなってしまった美しい海岸の景観が描かれている。ここに掲載した部分は富岡の海岸で、富士山の左手に三条の別荘があったと思われる。また、砂浜に多くの漁民が描かれ、地引網を引いているようである。三条は船上から見た当該地域の海岸線の美しさに魅せられたのであり、この景観を後世に伝えたいと考えたのかもしれない。

(伊藤泉美)

写真3 富岡海荘図巻 荒木寛畝画横浜開港資料館蔵
写真4 富岡海荘図巻 荒木寛畝画 横浜開港資料館蔵

一方、明治時代を代表する雑誌である「風俗画報」の記者は、明治31(1898)年に、こうした美しい光景を文章に残し、金沢八景の旅館千代本からの眺望を「美酒呼ぶべく、鮮鱗溌剌(せんりんはつらつ)膳に盛るべし、磨きいでたる月光白く波に映じ、野島の山は近く浮びて、烏帽子岩、沖の白帆の影見ゆる、瀬戸の月、秋はことさら眺めよし」と記している。残念ながら現在、美しい景観の多くは失われてしまったが、残された絵画や古記録から風光明媚な横浜の海岸線を偲ぶことができる。

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