横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第116号
2012(平成24)年4月21日発行

表紙画像

企画展
「横浜の海 七面相」出品資料の中から
−絵画・古記録に見る海の歴史−

横浜港から旅立った移民

横浜港は、明治元(1868)年に、日本最初の移民をグアム島やハワイ島に送り出した後、近代を通じて移民が旅立つ港になった。横浜港は北米航路や南米航路の出港地であり、ハワイ・アメリカ・カナダ・ペルーなどへの移民は横浜港から出発した。その最盛期は日露戦争直後と関東大震災後であったが、当館には、それ以前のものも含め移民の関係資料が収蔵されている。

写真4】は、明治時代中期以降に刊行されたもので、ハワイに移民する人びとに対して注意事項をまとめたものである。冊子の表紙には「出稼人の心得書」と記され、移民が守るべきことが列記されている。ここに掲載した頁には、ハワイへ持っていくべき品物、衣服についての注意、ハワイで働く際の給金などが記されている。

写真4『出稼人の心得書』 横浜開港資料館蔵「稲生典太郎文庫」
写真4 『出稼人の心得書』 横浜開港資料館蔵「稲生典太郎文庫」

紙数の関係ですべてを紹介できないが、衣服については「衣服も晴れ着などの類は持ちいくに及ばず。ただ仕事の着物があれば沢山なり。もっとも丈高き砂糖キビの畑にて仕事をするなれば余程強き衣服にあらざれば、とても永くもたぬなり。また、衣服の仕立ても筒袖、股引が第一便利なり」(ここでは一部分、読みやすいように原文を書き改めた)と記し、ハワイでの仕事の中心が砂糖キビ畑の労働であると述べている。

また、本誌には写真を掲載できなかったが、明治38(1905)年に刊行された『海外立身の手引』(渡辺四郎著、当館蔵「稲生典太郎文庫」)は、問答形式でアメリカへの移民の疑問に答える頁を設けている。その質問事項には、①金なくして渡米するの方法あるや、②米国は金をもうけるに容易なるや、③日本人は米国にて歓迎せらるるや、④無資力にて米国大学校を卒業しうるやなどがある。このような本を読みながら移民たちは、どのような夢を持ち横浜港から海外に旅立っていったのだろうか。

(西川武臣)

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