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「開港のひろば」第115号
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企画展
横浜の写真館の歩み
−1860's〜1960's−
戦争と写真館
1937(昭和12)年7月に始まった日中戦争は横浜の写真界にも影響を及ぼした。すべての力が戦争遂行にむけられていくなか、写真館で修業を積む若い写真師たちも次々と出征していった【写真7】。また統制経済の強化に伴い、営業の基盤となる写真材料も配給制へと変化、写真師の技術差に関わらず、統一の料金設定もなされていった。戦争によって技術に基づく自由な競争は制限されたのである。
その一方、写真師たちは戦地へ赴く兵士とその家族をカメラに収めた。先が見えない状況のなか、人々は想い出を残すため、身近な写真館を訪れ、フィルムに自らの姿を刻んでいった。写真館は人々の記憶をとどめる重要な役割を果たした。
1941年12月、日米が戦端を開くと、戦時色は一層強まり、戦況の悪化とともに横浜を離れる写真師もあった。そして1945年5月の横浜大空襲によって市街地は焼き払われ、大半の写真館がその被害を受けた。
敗戦後、占領軍によって市街中心が接収されると、それまで市街地で営業していた写真館は郊外への移転を余儀なくされた。その一方で、米国軍人は新たな顧客となって写真館の需要を生んだ【写真8】。また、戦地や疎開先から戻ってくる写真師もあり、横浜の写真界は次第に息を吹き返した。その後、横浜の写真館は新しい時代の流れに対応しつつ、見事に復活を遂げたのである。
(横浜市史資料室 吉田律人)