横浜開港資料館

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「開港のひろば」第113号
2011(平成23)年7月27日発行

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資料よもやま話
中居屋重兵衛関係資料から
−生糸貿易が始まった日−

上田町を出立、一路江戸へ

伊藤が上田町を出立したのは安政6年2月29日で、早朝に上田町を出た伊藤は中仙道を江戸に向かった。江戸到着は3月4日で、茅町(現在、東京都台東区)にあった上田藩の中屋敷に入り、同日中に松本左右衛門や岡部志津馬ら藩の重役と面会している。5日には藩邸に置かれた「勘定所」と呼ばれた役所に出頭し、勘定奉行と横浜での貿易について相談した。上田藩では伊藤の江戸到着を待ち、幕府へ生糸などの領内産物を、中居屋を通じて輸出することを願い出た。4月7日の日記には、中居屋が藩の指示で町奉行に提出した願書の写が収められている。

【資料1】
  乍恐以書付奉願上候
芝金杉片町家持撰之助奉申上候、今般、異国貿易御差許ニ相成候ニ付、紀州・会津・上田産物、別紙之品々私引受仕候間、神奈川御場所ニ出店仕、貿易売込共仕度、何卒以御慈悲貿易売込共願之通被仰付被成下置候様奉願上候、右御聞済被下置候ハヽ出店之地所間口三拾間、奥行四拾間、此坪数千弐百坪拝借被仰付被下置候様奉願上候

願書によれば、中居屋は横浜に1200坪に達する敷地の店を建築し、この店で上田藩のほか会津藩や紀州藩の産物を輸出することになっていた。また、4月24日には、中居屋横浜店の完成予定図面が完成し、25日に外国奉行に図面を提出することになった。店の普請については、5月1日から始まると記され、開港期日に向けて突貫工事がおこなわれたようである。その後、伊藤は、5月1日に江戸茅町の上田藩の屋敷を出て、産物出荷についての打ち合わせをするため、一旦上田町に戻り、7日には上田町に設置された産物会所で上田藩の役人と会合を持った。こうして上田藩の生糸出荷体制が整い、伊藤は5月25日に再度、茅町の上田藩中屋敷に出頭した。

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