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「開港のひろば」第113号
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広瀬始親(ひろせもとちか)写真展
横浜ノスタルジア
特別篇
昭和30年頃の街角
昭和30年頃の横浜は、戦後復興から高度経済成長へと移り行く過渡期にありました。今年九五歳になる広瀬始親氏は、新時代への胎動の最中にある横浜を、モノクロのフィルムに記録しました。
昭和20年5月の大空襲で焼け野原となった市中心部は、戦後は日本占領の拠点となります。中区は区域の約35%が接収され、伊勢佐木町のデパートは占領軍の購買部などとなり、その裏側にはかまぼこ兵舎や飛行場が造られました。
昭和28年4月にサンフランシスコ講和条約が発効しますが、接収が続いた横浜の復興は遅れます。関内には空き地が広がって、「関内牧場」と揶揄され、山下公園の半分には米軍住宅が残るなど、昭和30年頃の横浜は、戦争の影をひきずっていました。
一方、野毛や横浜橋の商店街は活気に満ち、開国百年祭や開港百年祭では復興へむけての市民のエネルギーが結集されていきます。また、本牧や根岸には海苔の養殖や潮干狩りができる豊かな海が広がっていました。
光と影に満ちた時代の横浜。広瀬氏はその姿を見事に切り取りました。外国航路の船で賑わう大桟橋、それぞれ異なる表情を見せる、山手・元町・中華街・伊勢佐木町、生活感あふれる横浜橋や藤棚の商店街、広い土地を接収された本牧の新旧の姿、失われて行く海辺と川の姿などです。
2007年2月、横浜開港資料館は、横浜都市発展記念館との共催で「広瀬始親写真展 横浜ノスタルジア」を開きました。今は失われた風景と表情豊かに生きる人びとの姿をとらえた写真は、世代を越えてノスタルジーの念を呼びさまし、好評を博しました。今回は初公開写真を多数加えて「特別篇」として構成し、当時の関連資料をまじえながら、半世紀前の街と人びとを見つめます。
この時代を生きた方もそうでない方も、それぞれの昭和30年頃を感じ取っていただければ幸いです。
末尾となりましたが、貴重な資料を当館にご寄贈いただいた広瀬始親氏に、改めて感謝申し上げます。
(伊藤泉美)