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「開港のひろば」第113号
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資料よもやま話
中居屋重兵衛関係資料から
−生糸貿易が始まった日−
横浜は、安政6(1859)年6月2日の開港以来、日本最大の生糸輸出港として発展した。日本は、生糸輸出から得られた外貨によって近代化を成し遂げ、生糸貿易は日本経済に大きな影響を与え続けた。そのため生糸貿易が誰によって始められ、それが開港の年の何月何日であったのかについては明治時代以来、さまざまな議論がおこなわれてきた。現在では、6月24日から同月28日までの間に、名前不明の日本人商人とオランダ人商人との間で行われた取引が横浜最初の生糸取引であったとする説が有力になっている(石井寛治著、東京大学出版会発行『近代日本とイギリス資本』22頁)。
ところで、筆者は上田町(現在、長野県上田市)の城下町商人伊藤林之助が開港直後に記した日記を読む機会に恵まれた。この日記は生糸貿易に従事した伊藤の子孫の家(伊藤洽子家)に伝来し、貿易の様子を伝える一級資料になっている。当時、上田藩は、城下町に集荷された生糸を、上野国吾妻郡中居村(現在、群馬県嬬恋村)から横浜に進出した生糸貿易商中居屋重兵衛(撰之助)を通じて外国商館に販売しようとしていた。そのため、伊藤は藩の指示で横浜の中居屋に滞在していた。
日記には伊藤が上田町を出立し横浜へ至るまでの道中の様子から横浜で生糸取引が開始された様子までが克明に記されている。ここでは、やや煩雑ではあるが、日記の原文を抜粋しながら生糸貿易が始まったばかりの横浜の様子を紹介してみたい。