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「開港のひろば」第113号
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展示余話
5度の危機を乗り越えた、たまくすの木
関東大震災直後に植継ぎの危機
もう一つの「危機」は関東大震災直後におきていた。大火に焼かれたたまくすを見た横浜市は、枯れたと思い、他の場所から同じたまくすを持ってきて植継ぎする計画をたてたのである。
1923年と24年の『横浜市事務報告書』の「史跡名木ニ関スル件」には、植継ぎ計画とたまくすの復活の経緯がつぎのように記されている。
山下町英国領事館構内ノ我国開港談判所遺跡ニ在リタル「玉楠」ハ震火災ノ為メ枯死シシタルモ…英国領事館内ノ史跡ヘハ更ニ植継キヲ為ス見込ナリ((『横浜市事務報告書』1923年)
震災直後、たまくすの替え玉とも言える計画がたてられた。ところが翌24年、この計画は中止となった。
山下町英国領事館構内ノ我国開港談判所遺跡ニ在リタル「玉楠」ハ震火災ノ厄ニ遭ヒ一旦枯死シタルヲ以テ其跡ニ植継キヲ為ス見込ナリシカ、本年春夏ノ交ニ至リ其ノ根幹ヨリ餘蘖[ひこばえ]発生シタルニ依リ、直チニ其周囲ニ竹柵ヲ結ヒ相当保護ヲ加ヘタルハ意外ノ幸ナリシ…(『横浜市事務報告書』1924年)
24年の春から夏に替わる頃、図らずもひこばえが芽生え、周囲に竹柵を作ったりして保護することになり、この計画は中止となったというのである。この経緯は前掲『横浜市史稿 地理編』(998頁)にも記されていたが、植継ぎのたまくすが実際に敷地内に持ってこられたか否かはわからなかった。
図3は、1931年のイギリス領事館(現当館旧館)再建中の写真である。あまり写りはよくないが、左端に竹柵で保護され、木の一部が見えている本来のたまくすが、そして右端、領事館県庁側入口横に大きな樹勢のよい別のたまくすが見える。これが植継ぎ用に準備されたたまくすではないだろうか。どこから持ってこられ、その後、どこへ移されたのかは、これまた不明である。