横浜開港資料館

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「開港のひろば」第111号
2011(平成23)年2月2日発行

表紙画像

企画展
ライオン講演会と
横浜の口腔衛生普及活動

衛生展覧会の開催

ライオン講演会が横浜で開催された大正2年の10月、勧業共進会の開催に合わせて衛生展覧会が開催された。勧業共進会は、神奈川県と横浜市が設置した勧業協会が主催し、同年10月1日から11月19日までの50日間、横浜市蒔田(まいた)町で開催された。本格的な地方博覧会であり、会期中62万人もの入場者があったという。衛生展覧会は、横浜市衛生組合が主催し、勧業共進会会期中の10月1日より同月31日まで、共進会会場に至る共進橋の右側に会場を設け、衛生思想普及を目的として開催された。歯科のコーナーは、神奈川県歯科医師会が担当し、日本歯科医学専門学校などの出陳資料約200点を展示した。衛生展覧会には、日に数千人の来場者があり、会期を15日間延長するほどの盛会であったという。衛生展覧会の成功を機に、神奈川県歯科医師会は、その後も大正5(1916)年に歯科衛生展覧会と講演会を、大正10(1921)年には児童衛生図書展覧会と連合して講演会を開催するなど、口腔衛生普及のための講演会や展示を開催することとなった。

従来、衛生展覧会の開催が、横浜の口腔衛生史の始まりとされてきたが、同年6月に開催されたライオン講演会が、その端緒といってよいであろう。大正2年、ライオン講演会と衛生展覧会が横浜で開催され、横浜の口腔衛生普及活動はスタートした。ライオン(株)は、ライオン講演会を開催した大正2年を、ライオン口腔衛生活動元年としているが、ライオン講演会と衛生展覧会が開催されたこの年は、横浜にとってもまさに口腔衛生活動元年であった。慶応元(1865)年のイーストレーキ来日から48年、約半世紀後のことである。

ライオン講演会のその後

横浜で始まったライオン講演会が成功したことから、ライオン講演会はその後も全国を巡回し開催された。講演会は、沖縄や日本統治下の台湾でも開催され、国内での講演会が1巡すると、2巡目が開催された。横浜でも大正7年、2巡目の講演会が開催され、横浜市内での開催地は47カ所を数えている(『口腔衛生二十五年史』前掲書)。第1回のライオン講演会開催から5年が過ぎ、口腔衛生普及活動およびライオン講演会への理解も高まり、横浜市の協力も得られたのであろうか、市内約20校の小学校でも講演会が開催されている。

ライオン講演会は、昭和8(1933)年12月まで、全国で10万回以上開催され、聴講人員は延べ約5700万人を超えたという(『ライオン歯磨八十年史』ライオン歯磨(株) 1973年)。その後ライオン講演会は、口腔衛生啓蒙のための印刷物の発行や懸賞募集、学校歯磨大会開催など各種の活動に形を変え、今日まで引き続き行われている。

今回の展示では、そうした印刷物の一例として小林商店広告部に所属した童画家河目悌二(かわめ ていじ1889〜1958年)が描いた『朝とねるまへ』(写真3)なども展示する。ご覧いただきたい。

写真3 『朝とねるまへ』(小林商店 1936年)
大野粛英氏所蔵
写真3 『朝とねるまへ』(小林商店 1936年) 大野粛英氏所蔵

ライオン(株)関係資料の調査にあたり、浅井芳男(あさい よしお 同社社史資料室)・園田明子(そのだ あきこ 同社広報センター)の両氏にお世話になった。記して謝意を表します。

(石崎康子)

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