横浜開港資料館

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「開港のひろば」第111号
2011(平成23)年2月2日発行

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企画展
「痛っ歯が痛い―歯科医学の誕生と横浜―」

大正期横浜の松影町(現横浜市中区)にあった榊原歯科医院の診療室
榊原紀男氏所蔵
大正期横浜の松影町(現横浜市中区)にあった榊原歯科医院の診療室 榊原紀男氏所蔵

現在、日本の歯科医学は、世界有数の高水準にあるといわれます。また国民皆保険のもと、健康保険の範囲内で等しく高度な治療もうけることができます。今から150年前、悪化したむし歯の治療は抜歯が唯一の治療法であったことを考えると、格段の進歩を遂げたことになります。

横浜は、日本における近代歯科医学発祥の地といわれます。これは、横浜に上陸した西洋人歯科医が、鎮痛をした上でむし歯を処置し、むし歯の穴に詰め物をして治療するという画期的な治療技術をもたらしたからです。抜歯から治療へ、歯科医学の新たな扉が開かれました。

日本近代歯科医学の祖イーストレーキ(W. C.Eastlack,のちEastlacke, Eastlakeと改名)が来日したのは、1865(慶応元)年でした。イーストレーキに続き、1866年にはウィン(H. H. Winn)、レスノー(J.R. Lysner)、バーリンガム(J.S. Burlingham)が来日します。1877(明治10)年までに横浜に居留した西洋人歯科医は11人を数えます。かれらの多くは居留地で開業し、主に居留外国人の治療にあたりました。日本人の治療をすることは稀でしたが、彼らが雇った日本人助手のなかには、技術を身につけ歯科医として独立するものも現れます。また明治になると、欧米の歯科医学を学ぼうと自ら海外に渡り、歯科医学を習得し、帰国後歯科医となる者も現れました。そして彼らの尽力により、1906(明治39)年には、歯科医師法が成立し、歯科医学専門学校も創設されました。

W.C.イーストレーキ
日本大学松戸歯学部歯学史資料室所蔵
W.C.イーストレーキ 日本大学松戸歯学部歯学史資料室所蔵

西洋人歯科医の来日から約150年、歯科医学関係者は、むし歯の治療法だけではなく、歯科医療に関する法律の制定や歯科医師育成の学校設立とその経営、治療器機や資材の改良と開発、口腔衛生の向上等に努めてきました。横浜にもたらされた近代西洋歯科医学は、150年の歳月のなかで、根付き、大きく発展したのです。

今回の展示では、大野粛英(おおの としひで)・羽坂勇司(はさか ゆうじ)の両氏と(社)神奈川県歯科医師会「歯の博物館」が所蔵する資料を中心に、約150点の資料を展示します。入れ歯や房楊枝、歯科治療器具といった様々な資料を通じて、西洋人歯科医来日以前の歯科事情から昭和期の学校歯科治療まで、横浜におけるむし歯治療と予防の歴史をたどります。

(石崎康子)

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