横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第111号
2011(平成23)年2月2日発行

表紙画像

企画展
ライオン講演会と
横浜の口腔衛生普及活動

ライオン講演会

ライオン講演会の実施状況については、講演会の機関誌『ライオン・コスモス』に詳しい(写真2)。

写真2 『ライオン・コスモス』第5号(ライオン講演会本部 大正7年2月刊)
ライオン(株)所蔵
写真2 『ライオン・コスモス』第5号(ライオン講演会本部 大正7年2月刊) ライオン(株)所蔵

『ライオン・コスモス』は、ライオン講演会本部が大正7(1918)年9月に創刊し、同12(1923)年3月、第55号で休刊となったタブロイド版4頁の月刊誌である。ライオン講演会の内容や口腔衛生、歯科医学情報などを掲載し、学校や各種団体・歯科医師らに広く周知する目的で刊行され、一部5円で配布された。創刊号から42号まで、会主である小林富次郎の「ライオン講演会の趣旨」が掲載されているが、「歯牙衛生に関する講演を為し、専ら此思想の普及発達を図り、国民全体の健康に資する所あらむ」と講演会への思いが記されている。

大正8(1919)年1月刊行の第5号、同2月刊行の第6号には、理事の井上がライオン講演会開催からの歳月を回顧し、「過去の7年間(1)・(2)」を掲載している。そこには初の地方巡回講演会で横浜を訪れた際の様子が詳しく綴られている。

大正2年6月3日、井上は「我邦(わがくに)の関門(かんもん)で、世界の文明にも接する便宜を有する」横浜に「緑川講師と他に幻灯技手一名と連れ立」って乗り込んだ。まず横浜市と講演会開催を交渉したが、実施には至らなかった。次に神奈川県と交渉し、県から「時勢に適した良い思附(おもいつき)である、早速横浜の中学校でやって貰い度い」という返答を得、講演会を実施することとなった。講演会は、翌々日の5日、神奈川県立高等女学校と同校に併設していた神奈川県女子師範学校(現神奈川県立横浜平沼高等学校)で行われ、次いで同月10日には神奈川県第一中学校(現神奈川県立希望が丘高等学校)でも開催された。県立高等女学校および女子師範学校、第一中学校での開催とも参加者は600名を超える盛況であったという。

その後「基督教主義の各女学校、其他の私立学校、各小学校等に於て連日数回の講演を継続し、又夜間は幻灯映写を以て父兄会を催した」。さらに横須賀・浦賀、三浦半島をめぐり、東海道沿いに三島・沼津を経て静岡市まで講演を続けた。ちょうど7月下旬になり、夏季休暇の時期となったので、「7月29日城内東小学校を最後」として静岡市を引き揚げている。

この時横浜市内で講演会が開催されたのは、前述の県立高等女学校・女子師範学校、県立第一中学の他に、汐汲坂(しおくみざか)高等女学校(現横浜学園中学校高等学校)・紅蘭(こうらん)女学校(現横浜雙葉高等学校)など4校の私立学校のほか、元街・神奈川・西戸部の小学校、神奈川幼稚園の10カ所であった(『口腔衛生二十五年史』小林商店 1938年)。

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