横浜開港資料館

HOME > 館報「開港のひろば」 > バックナンバー > 第109号

館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第109号
2010(平成22)年7月28日発行

表紙画像

資料よもやま話
東京神学大学図書館所蔵
『よろこばしきおとづれ』の複製本公開

当館では、平成19年1月より企画展示「横浜開港と宣教師―翻訳聖書の誕生」を開催した。展示では、バプテスト派の宣教師ネイサン・ブラウン(Nathan Brown, 以下N・ブラウン)の日本における聖書翻訳の軌跡をたどり、ヘボンら翻訳委員会の活動との関連を明らかにした。また展示では、N・ブラウンと彼の息子ピアスが横浜に設けた印刷所ミッション・プレスを取り上げ、そこで印刷された印刷物を紹介した。その一つが、共立女学校(横浜共立学園の前身)の日曜学校で使用するため刊行された児童雑誌『よろこばしきおとづれ』であった。この度、同誌全号を所蔵される東京神学大学図書館より、同館ご所蔵のマイクロ・フィッシュからの複製の作製と、複製での閲覧公開をご許可いただいた。公開にあたり同誌を紹介したい。

刊行の経緯と概要

『よろこばしきおとづれ』は、明治9(1876)年12月、創刊号『よろこびのおとづれ』(英語誌名Glad Tidings)として刊行され(写真1)、翌年の1月号[2号]から『よろこばしきおとづれ』と日本語誌名を変更し(英文誌名は同じ)、明治15(1882)年2月の63号まで刊行された月刊誌である。

写真1 『よろこびのおとづれ』の表紙
(『よろこばしきおとづれ』創刊号『植村正久と其の時代』第3巻所収)

『よろこびのおとづれ』の表紙(『よろこばしきおとづれ』創刊号『植村正久と其の時代』第3巻所収)

創刊号から明治11(1878)年2月号[15号]まで、巻号の表示はないが、同3月に刊行された号からは、創刊号から前号までの号数を継承し、「Vol.2 No.16」と記され、以後巻号が英語で記される。明治13(1880)年1月刊行のVol.4 No.38に、日本語で「三八号」と記され、以後日本語でも巻号と刊行の年月日が表記されるようになる。

本誌には発行者の記載がないが、アメリカ人女性宣教師マクニール(S.B.McNeal)によって創刊された(註1)。マクニールは、共立女学校設立の母体となった超教派の女性伝道協会である米国婦人一致外国伝道協会(The Woman's Union Missionary Society of America for Heathen Lands, 略称WUMS)により日本に派遣された。WUMSが共立女学校に派遣した6人目の宣教師であり、来日は明治9年7月であった。同校で教鞭をとるかたわら、来日した年の暮れには『よろこばしきおとづれ』を刊行している。

なお同誌Vol.2 No.16から同No.23(明治11年10月号)の巻末には共立女学校の所在地 “Yokohama 212 Bluff”(横浜山手212番地)と記されており、同誌の編集が共立女学校で行われていたことを示している。

マクニールは、明治11年10月、学校開設のため築地へ移転した(註2)。しかし東京にあっても、明治13年1月の帰国まで、『よろこはしきおとづれ』の刊行に携わり、マクニールの帰国後、同誌の編纂は、三浦徹とミラー夫人(M.E.Miller, M.E.キダー)に引き継がれた(註3)。

本誌の出版資金は、1856年にブルックリンで結成された団体 The Foreign Sunday School Association (略称FSSA)が提供した。FSSAは、1918年に The World's Sunday School Association に吸収合併されるまで、『よろこばしきおとづれ』及びその後継誌『喜の音 (よろこびのおとづれ) 』の資金援助を続けたという(註4)。

前述したが、同誌の印刷は、N・ブラウンが自宅に設けた印刷所、ミッション・プレスで行われた。アメリカのバプテスト・ミッションの年次報告書には、「(Glad Tidingsの)創刊号である1876年12月号と1877年1月号は各500部、2月号から12月号までは各1,000部印刷された」とある(註5)。ミッションの年次報告に記されていることから、『よろこばしきおとづれ』の印刷は教派の事業として行われており、刊行当初同誌の発行は超教派の活動であった。

なおVol.2 No.16から、巻末に “Contents(目次)” と配布価格についての記載 “Ten copies $1.20 per Annum(10部年間購読料1.20ドル)” が記されている。Vol.3 No.26からは日本語でも「一ケ月十枚ツ丶一年分一円二十銭」と併記され、配布価格は63号まで変わらない。

WUMSへの報告書には、日曜学校の責任者ミセス・ヴィーレが『よろこばしきおとづれ』を日曜学校で「毎月100部配布している。日本人たちは読み物が少ないのでこれをとても大切にしている」(註6)と記している。10部単位で頒布されていたことからも、同誌は宣教師たちが日曜学校に参加した子どもたちに配布することを目的として刊行されていたのであろう。

註1 『横浜共立学園六十年史』(横浜共立学園六十年史編纂委員編 1933年)
註2 註1に同じ
註3 『植村正久と其の時代』第3巻(佐波亘編 教文館 1976年復刻再版)
註4 齋藤元子「『よろこばしきおとづれ』―地理教育からみた明治初期のキリスト教児童雑誌」『明治学院大学キリスト教研究所紀要』40号(2007年)
註5 註4に同じ。
註6 『横浜共立学園資料集』(『横浜共立学園資料集』編集委員会編 2004年)

続きを読む ≫

このページのトップへ戻る▲