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企画展
横浜浮世絵
−よみがえる幕末・明治の町づくり−
横浜海岸通リ之真景 明治5(1872)年5月 3代広重画
海の部分は関東大震災後に埋め立てられ、現在、山下公園になっている。
安政6年(1859年)6月2日、横浜は開港し、これ以後、この町は日本を代表する国際都市になりました。開港当初の市街地は幕府や明治政府の都市計画に基づき、現在の中区海岸部に造られましたが、当時の町並みは火災や震災などによって破壊されてしまいました。現在、わずかに造成された道だけが残っていますが、ビル街からはかつての町並みを想像することはできません。
しかし、当時の町並みを描いた絵画や絵地図、幕末から明治初年に撮影された写真などが多数残されているため、我々はこうした歴史資料を活用することによって、失われた横浜の光景を再現することができます。展示では、そうした資料のひとつである横浜浮世絵を題材に、幕末から明治初年の町づくりの歩みを振り返ります。
横浜浮世絵は幕末から明治初年にかけて横浜の町と外国人風俗を題材に描かれた錦絵の総称ですが、横浜開港資料館には約800点の作品が収蔵されています。収蔵品の作者も五雲亭貞秀(ごうんていさだひで)・2代広重・3代広重・芳幾・芳虎などの10人以上に達し、当館は横浜浮世絵の宝庫といわれてきました。
これらの作品の中には横浜の町並みを写実的に描いたものがいくつか含まれています。もちろん美術的な作品であるため必ずしも正確な描写がおこなわれていない場合も多々ありますが、作品から当時の町並みをイメージすることはできます。特に、外国人居留地(現在の山下町一帯に置かれた外国人の居住区)や日本人居住区(現在の海岸通から関内駅や桜木町駅にかけての地域)の賑わいを描いた浮世絵には写実的な作品が含まれています。
また、灯台や鉄橋、波止場(象の鼻)や京浜間を結んだ近代的な交通手段(蒸気船や鉄道など)を描いた浮世絵からは、横浜でさまざまなインフラの整備が着々と進められた様子をうかがうことができます。さらに、外国人が住む珍しい町である横浜には多くの名所ができましたが、浮世絵や浮世絵師が刊行した案内記はそうした場所についても詳しく紹介しています。
幕末から明治初年の町並みは、近代都市横浜の「原風景」であり、平成21年(2009年)に開港150周年を迎えようとしている現在、横浜浮世絵を眺めることによって失われた「原風景」を偲んでいただければと思います。
(西川武臣)