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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第96号
2007(平成19)年4月25日発行

表紙画像
企画展
横浜浮世絵
−よみがえる幕末・明治の町づくり−
横浜浮世絵を代表する絵師とその作品
−貞秀・2代広重・3代広重の作品から−
展示余話
伏島近蔵(ふせじまちかぞう)関係資料について
資料よもやま話
生糸商茂木商店と二人の旧大村藩士
−森謙吾(もりけんご)と長與専斎(ながよせんさい)−
資料館だより

新収資料コーナー(4)
幕末横浜英駐屯軍士官旧蔵写真帳

  またひとつ横浜になくてはならない資料を入手することができた。

図版1
図版1

  この資料[図版1]とは、幕末の慶応2〜4年(1866〜68年)年に山手(現中区山手町)に駐屯したイギリス第9連隊第2大隊所属士官の旧蔵写真帳である。和綴じの装丁は当時のものとみられる。

  文久2年(1862年)におこった生麦事件をきっかけに、横浜に住む居留外国人保護と居留地防衛を名目として、翌文久3年から山手にイギリスとフランス軍が駐屯を開始した。以後、部隊の交替をくり返しながら、明治8年(1875年)に同時撤退するまで12年間駐屯し、幕府・明治政府や外国人居留地社会、日本人社会にさまざまな影響をもたらした。

  横浜の外国軍隊駐屯というと、戦後のGHQによる占領が知られているが、実はこのように幕末から明治にかけても存在し、外国軍隊の存在は当時も大きな外交問題となった。

  当館ではこれまでに駐屯軍を取り上げた展示を2度開催し、史料集や論文集も出版した。しかし駐屯軍についてのおもな写真は、当館はもちろん国内の他の公的機関にも所蔵されておらず、本国のイギリスやフランス調査で発見した写真を複写して紹介するしか方法はなかった。

  今回入手した写真帳は、全部で47枚の写真が貼付されており、横浜駐屯時期に該当するものは37枚ある。山手(現港の見える丘公園やゲーテ座のある一帯)にあった兵舎での兵士の生活、当時の横浜や江戸の町並みなど、初めて目にするものばかりで、またオリジナルプリントであり、たいへん鮮明である。

図版2
図版2

  図版2はその内の一枚である。写真の下部に説明書きがみえ、これによると馬上の人物は、部隊の指揮官の夫人らしい。当時、居留地で発刊されていた英字新聞には、イギリス軍の士官が多数の妻子を連れて横浜にやって来たと書かれているが、画像で確認できたのは初めてである。

  2009年の横浜開港150周年に向けて当館でもさまざまな事業を計画しているが、その中でこの写真帳の全貌を紹介していきたい。

(中武香奈美)


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