HOME > 館報「開港のひろば」 > バックナンバー > 第94号

館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第94号
2006(平成18)年11月1日発行

表紙画像
企画展
地域リーダーの幕末・維新
−横浜近代化のにない手たち
企画展
飯田廣配と添田知通
−地域リーダーとしての生涯−
展示余話
資料の修復
『其唐松』修復の記録から
学術交流
仁川(いんちょん)広域市立博物館訪問記
資料よもやま話
横浜のフランス人商会と開拓使
資料館だより

新収資料コーナー(2)
外国語新聞と内閣書記官室記録課


  横浜における近代的な新聞の歴史は、長崎で『ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドヴァタイザー』を発行していたイギリス人ハンサードが横浜に移り、1861年に『ジャパン・ヘラルド』を創刊したことから始まる。この新聞は、当初週刊のみだったが、1863年には日本最初の外国語の日刊紙となった『デイリー・ジャパン・ヘラルド』を発行するようになる。その後、週刊紙と日刊紙を合わせ、毎夕刊行の『ジャパン・デイリー・ヘラルド』に替わり、代表的なイギリス系新聞として発展した。


ジャパン・デイリー・ヘラルド 1904年3月5日付
〈写真をクリックすると新しいウィンドウを開き拡大表示します〉

ジャパン・デイリー・ヘラルド 1904年3月5日付


  近年、名古屋大学名誉教授升本匡彦氏より、『ジャパン・デイリー・ヘラルド』紙をご寄贈いただいた。1904年(明治37年)3月から8月までに発行されたもので、この時期のものは当館では所蔵しておらず、大変希少価値の高い新聞である。加えて書き込みが残されており、発行当時閲覧者がどの記事に注目して読んだのかが分かる。

  時期や印から検討した結果、内閣書記官室で、書記官長柴田家門、記録課長江木翼の間に回覧されたものであることが分かった。柴田は山口県出身で、明治23年に帝国大学法科大学を卒業後、内閣書記官になり、明治37年には内閣書記官長だった。大正元年から2年には文部大臣を務めている。江木は柴田と同郷で、明治30年に帝国大学法科大学を卒業後内務省に入り、明治36年に法制局参事官、翌年1月に内閣書記官・記録課長を兼任した。その後、大正元年に内閣書記官長、大正14年から昭和2年に司法大臣、昭和4年から6年まで鉄道大臣を歴任。また、憲政会、立憲民政党に所属した。

  内閣書記官室記録課は、帝国憲法・詔勅・法律・勅令・予算の原本、機密文書及び官印の保管をし、その他公文書の保管・出納をする庶務掛、詔勅・法律・命令及びその他の公文の編集や職官沿革録並びに官等々級俸給及び定員表の調整を行なう編纂掛、図書の目録作成、保管、出納などを行なう図書掛で構成されていた。

  明治37年は、2月に日露戦争が始まり、日韓議定書が調印され、8月には第一次日韓協定が結ばれた年である。寄贈を受けた新聞には、発行日の前日付でロンドンや釜山、天津などから送られた記事が掲載され、ロシア軍の動向や韓国の警備状況などを記した箇所に、朱で丸印が付けられ朱線が引かれている。

  『ジャパン・ヘラルド』は幕末から明治20年代には幕府や明治政府内で度々翻訳され、その写本が国立公文書館に残されているが、時代が下っても横浜在住の外国人にもたらされる詳細な情報が参考にされたのだろう。

  これらの新聞の一部を、常設展示室2の特別資料コーナーで紹介する予定である。なお、升本氏からは1895年に横浜で発行された『ジャパン・ガゼット』紙もご寄贈いただいており、これも合わせてなるべく早い時期に複製を作成し、閲覧室で公開したいと思っている。

(上田由美)


このページのトップへ戻る▲