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企画展
知られざる横浜の歴史と文芸−石井光太郎とその文庫−
横浜市史編集室で古文書を読む石井光太郎(石井タマ氏蔵)
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横浜市は、大正9年(1920年)、横浜市史の編纂を開始しました。編纂開始から3年目、大正12年(1923年)9月1日に起きた関東大震災によって、市庁舎内の市史編纂所に保管中の資料全てを焼失し、市内旧家所蔵資料の多くも失うという事態に至りましたが、事業は継続され、昭和6年(1931年)から8年(1933年)にかけて全11冊の『横浜市史稿』が刊行されました。震災による資料焼失の打撃は大きく、完全な横浜市史の編纂は後世に期するという未定稿の体裁でした。
その後、昭和29年(1954年)から昭和58年(1983年)まで28年間をかけ『横浜市史』を、さらに昭和60年(1985年)から平成16年(2004年)の19年間で『横浜市史II』を編纂しました。横浜市は、三度の市史編纂をおこなったことになります。
そして横浜開港資料館は、『横浜市史稿』・『横浜市史』編纂の過程で集められた歴史資料を保存・活用する施設として、昭和56年(1981年)6月2日に開館しました。今年6月2日で開館25周年を迎えました。
横浜市史編纂と当館の設立に尽力した人の一人に石井光太郎(みつたろう)(1918年〜1999年)がいます。彼は、横浜市堀内町(現、横浜市南区堀ノ内町)に生まれ、戦後、横浜市文教部職員となりました。昭和29年(1954年)から編纂が開始された『横浜市史』編纂事業では、横浜の歴史に関する豊かな見識をもって、20数年に及ぶ編纂事業に一貫して従事する一方、数多くの文化財調査や資料保存活動に尽力し、事業が終了に近づいた昭和53年(1978年)からは、当館の設立に奔走しました。
また石井は、公務のかたわら私財を費やし、横浜に関する膨大な歴史資料を収集しました。そこには、政治史・経済史を中心に編纂された『横浜市史』では取り上げられなかった、郷土史や文芸、娯楽といった分野の資料が数多くあります。「知られざる横浜の歴史を今に伝える資料」といっても過言ではないでしょう。
その貴重なコレクションが、開館25周年を記念して、石井家より当館へ寄贈されることになりました。今秋、「石井光太郎文庫」として公開の予定ですが、ここでは公開に先立ち、開館25周年記念展示として石井光太郎文庫を取り上げ、彼の業績と、文庫の貴重な資料を紹介します。
(石崎康子)