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展示余話
写真と浮世絵の対話−洲干弁天社を写す・描く−
開港期の横浜は二人の優れた芸術家に恵まれた。浮世絵師の五雲亭貞秀(ごうんていさだひで)と写真家のイギリス人フェリーチェ・ベアトである。両者の手で、生まれて間もない街並みや急速な成長の様子が描かれ、写し撮られた。
前回の企画展示「外国人カメラマンが撮った幕末ニッポン」では、「写真と浮世絵の対話―洲干弁天社(しゅうかんべんてんしゃ)を写す・描く―」というコーナーを設け、両者を比較することによって、それぞれの作品の特徴を浮かび上がらせることを試みた。ここではその一端を紹介しておこう。
図1 洲干弁財天の札 当館蔵
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一の鳥居と二の鳥居
洲干弁天社は開港前から景勝地として知られ、開港後は開港場の中心をなす横浜町の入口に位置することから、横浜名所の一つとなり、茶屋などが集まった。
結論から先に言うと、弁天社境内がもっとも詳細に描かれているのは、貞秀の「増補再刻御開港横浜之全図」である。これには四つの鳥居が描かれている(図2)。これを便宜上「一の鳥居〜四の鳥居」と名付け、フランス人技師クリペが作製した地図「横浜絵図面」の該当箇所にプロットしたのが図3である。
図2 「増補再刻御開港横浜之全図」に描かれた弁天社
五雲亭貞秀画。慶応元年〜2年(1865年〜1866年)頃。当館蔵
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図3 クリペ作製「横浜絵図面」に描かれた弁天社 当館蔵
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図4 ベアト撮影「野毛山から見た横浜」に写っている弁天社 当館蔵
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このように書くとなんでもないことのようだが、一の鳥居は「弁天町一」という文字に隠れてとても見えにくい。画像をコンピューターに取り込み、クローズアップしてようやくその存在に気が付いたのである。この発見によって、ベアトの写真(図5)の撮影地点が判明した。一の鳥居越しに二の鳥居を望んだものである。砂地に松並木が続く、いかにも砂州の先端に位置する神社の境内にふさわしい景観である。右手に「満津村(まつむら)」「うなきめし 蒲焼 とせう」の看板が見える。横浜を訪れる人を目当ての店であろう。
図5 弁天社の鳥居 一の鳥居から二の鳥居を望む。ベアト撮影 当館蔵
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他方、一の鳥居付近を描いた貞秀の「神奈川横浜二十八景」のなかの図(図6)を見ると、あまりにも街並みが整い過ぎている。ここには絵画にありがちな美化作用が働いているようである。
図6 「神奈川横浜二十八景之内 横浜弁天町鳥居前通り并弁天町一丁目四ツ辻を見込池を渡り本社に至り内浦を見渡ス之図なり」
五雲亭貞秀画 万延元年(1860) 当館蔵
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三の鳥居
図7は二の鳥居をくぐり、やや右手に曲がって、太鼓橋越しに三の鳥居を望んだもの、図8は瓢箪池から三の鳥居を望んだものである。これらの写真によって、三の鳥居の存在は明らかなのだが、それを明記しているのは貞秀の「増補再刻御開港横浜之全図」のみである。
図7 弁天社入り口の橋と鳥居
瓢箪池に架かる橋。鳥居の奥に社殿がある。ベアト撮影 当館蔵
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図8 弁天社境内 右手前は瓢箪池。正面奥に社殿がある。ベアト撮影 当館蔵
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たとえば、貞秀の浮世絵作品「横浜弁財天之社内ヨリ東海道神奈川台之茶屋并清水山又新町ヲ見ル景」(図9)にはこの鳥居が描かれていない。画面手前には瓢箪池に停泊する和船の帆柱、左端に社殿の一部、境内の松林越しに対岸の神奈川を描く、安藤広重(初代)を思わせる大胆な構図である。ここに三の鳥居を描いたのでは、この構図が崩れてしまう。正確さよりも、意図的に構図のおもしろさを狙った作品であろう。
図9 「横浜弁財天之社内ヨリ東海道神奈川台之茶屋并清水山又新町ヲ見ル景」
五雲亭貞秀画 万延元年(1860) 当館蔵
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瓢箪池入口の橋
瓢箪池の入口には橋が架かっていた。この橋を写したベアトの写真とともに、写真を元にした版画(図10)がアンベールの著書『幕末日本図絵』に残されている。しかし、どうも変なのである。弁天社の鎮守の森は左手に見えるはずなのに右手に見えている。
図10 弁天社境内の料理屋 アンベール著『幕末日本図絵』の挿絵 当館蔵
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そこで写真を複写したフィルムをコンピューターに取り込み、クローズアップしてみたところ、果たして橋のたもとに立つサムライが刀を右に差している。ベアトのオリジナル・プリント自体が逆焼きだったのである。図11は左右を反転して正像に戻したものである。
図11 瓢箪池入口の橋と茶屋 図10の版画の元となった写真。ベアト撮影 当館蔵
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見えなかったものが見えてくる、比較に特有の効果によって、絵画も写真もより雄弁になり、いっそう興味深いものとなることがおわかりいただけるであろう。
(斎藤多喜夫)