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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第91号
2006(平成18)年2月1日発行

表紙画像
企画展
雑貨輸出入商・守屋道の歴程
資料よもやま話1
N.G.マンロー
資料よもやま話2
ある「田舎商家」の半世紀
閲覧室から
新聞万華鏡(22)
資料館だより

企画展
創業の時代を生きた人びと
−黒船来航から明治憲法まで−


国会開設を祝う横浜市民  当館蔵彩色写真
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国会開設を祝う横浜市民  当館蔵彩色写真
明治23年(1890)11月25日、我が国で最初の国会が召集された。『毎日新聞』によれば、この日横浜では、市長が宮内大臣宛てに祝電を打ち、貿易商や外国銀行は休業し、学生生徒が市内を行進し、公園では花火が打ち上げられた。また市中の軒先は日章旗・提灯で飾られ、山車が引き出されたという。写真は、明治3年に旧横浜町(海岸通・北仲通・本町・南仲通・弁天通の各通り)3丁目の人びとが製作した豪華な神功皇后の山車。前方に日章旗が掲げられ、曳子の法被の襟に「祝国会」の文字が見える。

  開港資料館には、これまで、市民や国内外の多くの方々から寄せられた横浜の歴史に関する様々な資料が収蔵されています。当館では、提供者のご厚志に添うよう、これらの資料を速やかに整理し、目録を作成して閲覧に供し、また展示や出版などを通じてより多くの方々に紹介し、収蔵資料を有効に活用して頂くため微力を注いできました。

  資料は、個人や家、諸団体組織のその時々の様々な営みや活動の中で生産された、人間の意志の記録です。資料を作るのは人間であり、また人間は歴史的な存在です。幾世代にも亘る誕生と死の繰り返しの末に現在の我々が在り、家や地域、国家、民族等の長い歴史的文化的環境に強く規制された存在です。

  人が歴史的存在ならば、人の歴史を通じて地域や社会の歴史を描くことが出来ないか。当館の企画展示では、横浜の歴史に関する資料や出来事、人物を取り上げ、歴史の資料に即しながら、様々な視点から横浜の姿を紹介して来ました。

  横浜は、幕末の開国開港を契機に、今日の日本を代表する国際貿易港として都市形成を遂げたことは周知の通りです。横浜は、先ず鎖国日本の扉を開いた日米和親条約締結の地、次いで通商条約に基づく海外貿易のための開港場として日本歴史に登場します。開国・開港は、世界史的に見れば、地球上を席巻しつつある世界資本主義体制の最後の間隙を埋めるものでした。この後横浜では、内外商人による貿易活動を中心に、外国人居留地の整備、英仏軍隊の駐留、外国人殺傷事件、鎖港問題など、幕末史上の重要な事件が展開します。

  維新後には、日本の玄関港として本格的に都市の基盤整備が行われ、東京・横浜間に電信や鉄道が建設されるなど、横浜は、日本の近代化を進める実験場であり、モデル都市でした。この過程で、幾多の歴史上の人物がこの横浜と関わり、有名無名の幾多の人びとの活躍が今日の横浜を築き上げたのです。その中から幾人かの人物を選び、その活躍を通して横浜と近代日本との関わりを紹介してみようと思います。

  今回の展示では、周知の事実も視点を変え、隠れた資料を選んでみました。展示で紹介出来る資料は限られていますが、最新刊の『収蔵資料総覧』などを手引きにして、もっと多くの方々が当館収蔵資料を利用して下さるきっかけとなれば幸いです。今後とも当館の仕事と活動にご理解を賜り、一層のご支援をお願い申し上げます。

(佐藤孝)


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