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館報「開港のひろば」バックナンバー


「雑誌」について

 さて、今回展示した「雑誌」は、明治に入ってから盛艮が書いたもので、彼が歴任した職務に関する詳細な記録を残している。なかでも、明治元年から同4年にかけて、草創期の神奈川県でおこなった政策を列記しており、興味深い。

 記録は55項目からなり、「更ラ地四拾万坪余ヲ埋立ス」、「野毛埋立ノコト」など、都市建設のための開発事業を推進する一方、開港場や居留地の治安を維持するのに、「一大隊ノ県兵ヲ廃シ邏卒ヲ設」けたことなどが記されている。

 また、項目の後に「日本初メテ」などと記しているものもみられる。例えば「鉄橋を架ケ橋税ヲ課ス 日本初メテ」、「活版所ヲ設立日々新聞ヲ開ク 日本初メテ日々新聞ヲ行」という具合である。

 このほか、「維新前京摂間諸藩士周旋方ト称シ四方ニ奔走尽力セシ内交接シタル人名其他面識者ヲ左ニ掲ク」として、坂本龍馬や大久保利通、高杉晋作、伊藤博文、大隈重信など、交流のあった360名に及ぶ人物の姓名を記している。宇和島藩を代表する人物としての、交際範囲の広さがうかがわれる。

 なかには、長崎の本木昌造の名前も見える。盛艮には長崎に派遣されていた時期があり、その時に知り合ったのかも知れない。本木は、明治2年、鉛活字の鋳造に成功した。そして、盛艮は、本木の弟子陽其二(よう・そのじ)を横浜に派遣してもらい、活版印刷所を開いて『横浜毎日新聞』を発行するのである。


文書の利用について

 このたび、東京都港区立港郷土資料館の許可を得、当館では、井関家文書のうち、盛艮関係の「盛艮由緒書(録)・系図・年譜ニ可掲載件々」、「雑誌」、「朝廷江被召出候以来勤書」の3点の複製を閲覧に供することができた。

〔請求番号=文書/98/1〕

 ただし、複写を希望される場合は、東京都港区立港郷土資料館に申請していただきたい。

(上田由美)

「開港のひろば」第83号
2004(平成16)年2月4日発行

企画展
ある知日家アメリカ人と昭和の日本−ドン・ブラウン文庫1万点の世界
企画展
「ある知日家アメリカ人と昭和の日本
−ドン・ブラウン文庫1万点の世界」から
資料よもやま話
横浜最初の大火事
−1860年1月3日(安政6年12月11日)
展示余話
井関盛艮と明治初年の神奈川県

井関家文書と盛艮
文書の利用について
関連ニュース
横浜地下鉄物語
閲覧室から
新聞万華鏡(14)
新聞と洋紙
資料館だより

「雑誌」(東京都港区立港郷土資料館蔵)
本木昌造の名前が記載されている

「雑誌」画像




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最終更新日2006年8月20日  Last updated on Aug 20, 2006.
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