見積書の日付は、どちらも1871(明治4)年7月13日で、見積りを作成した会社名は、「レドロ及ソン」あるいは「レートロ及ソン」とある。同社が作成した見積書の器材目録には、「長九尺ニテ八インチ」の鋳鉄管611本が記されており、これは、今回出土した2本のガス管と同じ寸法である(単管の長さが九尺=約2.7m、内径が八インチ=約20cm)。したがって、ガス管のジョイント部にあったイニシャル「RL
& S」が、グラスゴーの「R.LAIDLAW & SON」社を指していることは、間違いないであろう。
この「レートロ及ソン」社の見積りに対して、プレグランは「横浜瓦斯事業ニ要用ナル製造装置ノ全分並ニ市中導管ヲ御製造御仕送被下候」として、さっそく翌日に発注している。同年11月にグラスゴーを出発した資材は、輸送に遅れが出たものの、翌明治五年四月には横浜港に到着し、工場の建設工事が急ピッチで進められることになるのである。
以上が、「身元調査」の概要である。横浜瓦斯会社の施設建設にあたって「RL & S」社から提出された見積書のなかに、8インチの鋳鉄管が含まれていること、そして今回発見された場所が、創業時のガス製造所とホルダーとをつなぐ部分に相当することを考えあわせると、今回発見されたガス管は、瓦斯会社の創業時にグラスゴーから購入された製品と結論づけてよいだろう。そして、明治5年9月29日、日本最初のガス灯が横浜に灯って以来、今日までおよそ130年間、ガス供給の役目を果たし終えたあとも、地面の下で眠りつづけていたのである。今回の出土は、横浜のガス事業の貴重な生き証人との対面であった。
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