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館報「開港のひろば」バックナンバー


資料よもやま話
「国内最古のガス管」発掘ルポ


 今年の1月半ば、中区花咲町にある市立本町小学校の校庭から、国内最古と思われるガス管が出土した。このニュースは、発見後すぐに新聞で報道されたので、覚えておられる方も多いであろう。同校校庭にスプリンクラーの受水槽を埋設する工事に際して、地下約2.5mの深さのところから、直径20cmほどの二本の鋳鉄管が発見されたのである。

 道路の下ならまだしも小学校の校庭からガス管が出るなんて、と思われるかもしれない。しかし、本町小学校であれば、それは不思議でも何でもないことである。同校が建っているのは、日本ではじめてガス事業を興した「横浜瓦斯会社」(明治8年には横浜瓦斯局と称し、同25年には横浜市瓦斯局となる)の跡地なのである。現在、同校の正門前で24時間輝いているガス灯は、その由緒を記念して設置されたもので、電気の街灯とは異なるガス灯独特の明かりを見ることができる。

写真1  出土したガス管(山側から校舎を見る、筆者撮影)
写真1

「開港のひろば」第76号
2002(平成14)年4月24日発行

企画展
「100年前の旅行アルバム
−外国人が撮ったニッポン−」
企画展ハイライト
展示余話
最後の橘樹郡長・福本柳一
資料よもやま話
「国内最古のガス管」発掘ルポ

「RL & S」を追って
ヨコハマ都市考古学へ
資料館だより


ガス管の身元調査

写真2  ガス管は、ジョイント部分を中心に切断し、現在は横浜市が保管している(筆者撮影)
写真2


 出土した2本のガス管は、裏山から校舎に向かって水平に並んでおり、うち1本は90度に折れ曲がって、地中へと消えていた【写真1】。

 まずは、出土物の「身元確認」である。どこかに製造メーカーが手がかりを残していないかどうか。管と管をつなぐジョイント部分の土を落としてみると、アルファベットが出てきた。どうやらイニシャルのようだ。「RL & S」とある【写真2】。さらに裏側には「Y」。出土したジョイント部分には、いずれにも「RL&S」の陽刻が確認できた。このイニシャルこそが、ガス管の出自を明らかにする重要な情報なのである。

 ここで、イニシャルの追求はいったん脇へおいて、「現場検証」にとりかかろう。もちろん、歴史的な現場検証である。

 横浜瓦斯会社の事業主であり、現在も高島町という地名にその名を残している高島嘉右衛門が、この場所で施設の建設に取りかかるのは、明治4年のこと。翌5年9月29日には、記念すべき日本最初のガス灯が横浜の街に灯される。当時のガス会社の施設については、明治10年頃に伊勢山から撮影された【写真3】、および明治7年から11年にかけて測量された「横浜実測図」(図1)から、おおよその状況が把握できる。


写真3  明治10年ごろの横浜瓦斯局
写真3

 写真中央に見えている円筒状のものがガスホルダー、すなわちガス溜である。そして、その右手に見える煙突をもった石造の建物が、ガス製造所である。製造所でつくられたガスは、背後のホルダーで蓄えられ、地中に敷設された管を通って市内へと供給されていた。地図でも確認できるが、敷地の前を流れる川に渡された「瓦斯橋」とは、その名のとおりガス管を対岸に渡すために架けられた橋なのである。

 今回、ガス管が出土した区域は、ちょうどガス製造所とガスホルダーとのあいだの部分に位置する。2本の管のうち片方(写真右側)が、90度に折れ曲がって敷地の端へと向かっていることの意味を考えれば、この2本は、製造所でつくられたガスをホルダーへと運ぶための管(写真左側)と、ホルダーを出て市内へと向かっていく管ではないかと推察される。もちろん、管の前後が出土していないので、断定はできないのであるが。


図1  「横浜実測図」(明治14年刊行)
図1





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最終更新日2006年8月20日  Last updated on Aug 20, 2006.
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