横浜開港資料館

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「開港のひろば」第141号
2018(平成30)年7月21日発行

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企画展
戊辰戦争と横浜
山梨、宮城、北海道に残る記録から

仙台藩の武器輸入

幕末における武器・艦船の輸入といえば、長崎のイギリス商人トーマス・グラバーを介して西南諸藩に供給されたことが知られている。しかし、戊辰戦争前夜、横浜港においても武器や軍艦の輸入がおこなわれていた。実際、1867年の横浜港における小銃の輸入量は10万2333挺で、6万5367挺の長崎をはるかに上回る(石塚裕道『明治維新と横浜居留地』)が、その具体的な取引を示す記録を展示で紹介する。

史料は仙台藩に関わるものである。仙台藩の江戸・横浜における武器・艦船の輸入については『仙台市史』(通史編五)がすでに左記史料も用いて検討しているが、今回仙台に残る原資料を改めて調査し、横浜に焦点を絞りながらその取引の実態を紹介したい。

慶応3年(1867)7月11日、仙台藩の公義使(江戸留守居役)大童信太夫は「ライフル銃御買上の儀」について藩上層部に上申した。8月14日、大童はライフル銃の購入資金を受領し、江戸の藩邸を出発して横浜に向かい、「五時九分前」に神奈川宿の羽沢屋に到着した。翌日大童はアメリカ商人のユージン・ヴァン=リードと会見して「小銃の談判」をおこなう。16日にはヴァン=リードの店で「雷銃(ライフル銃)」を点検、17日に「ウヱンリート方より雷銃五百廿挺受取」ったのである。大童はこの取引について神奈川奉行水野良之にも報告している(「慶応三丁卯日程記上」、個人蔵(大童家文書)、図2)。ヴァン=リードは幕末の横浜にさまざまな顔をのぞかせているが、仙台藩の銃器購入にも関与していたのである。

図2 「慶応三丁卯日程記上」個人蔵(大童家文書)
慶応3年(1867)8月14〜19日条
図2 「慶応三丁卯日程記上」個人蔵(大童家文書) 慶応3年(1867)8月14〜19日条

さらに、仙台藩は横浜で外国艦船を購入する動きを見せる。慶応3年11月30日、仙台藩はアメリカの蒸気船の購入のため、公義使入生田虎之助たちを横浜に派遣する。この船は軍艦奉行勝海舟の「世話」によってオランダ商人が取り扱っている船であった。翌慶応4年1月5日、出入司松倉良輔が「蒸気船御買上」のために「出張、十二万弗(ドル)にて御買上」となった(「慶応三丁卯都下勤番記」「慶応四戊辰都下公私志」、個人蔵(入生田家文書))。出張先は横浜であろう。

横浜が武器・艦船輸入港として東北地方の諸藩と外国商人の取引の現場となり、戊辰戦争に関わっていたことは、生糸貿易だけではないこの時期の横浜港の性格を考えるうえで重要である。

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