横浜開港資料館

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「開港のひろば」第141号
2018(平成30)年7月21日発行

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企画展
戊辰の横浜
開港都市の明治元年

横浜の関門を守る外国の兵士
『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』1868年8月1日付 当館蔵
画面中央の3名は横浜にやってきた薩摩の兵士。
横浜の関門を守る外国の兵士 『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』1868年8月1日付 当館蔵 画面中央の3名は横浜にやってきた薩摩の兵士。

本年は「戊辰」の年、慶応4・明治元年(1868)から150周年にあたります。

慶応4年1月、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍は薩摩・長州藩を主力とする新政府軍に敗北。その後各地は戊辰戦争の戦雲に包まれ、日本は戦乱の一年を迎えます。

3月、東海道を進んできた薩長の兵士が横浜に姿をあらわしました。しかし、外国の軍隊が駐屯する開港場では戦闘は発生せず、4月、横浜は佐賀藩を中心とする新政府軍によって平和裡に接収されます。このような事情もあり、戊辰戦争期の横浜についてはさほど一般には注目されていません。

しかし、近年の研究の進展と横浜市内外に残る史料の調査によって、明治元年の横浜の情況がより具体的に明らかになってきました。たとえば、奥羽の大名が横浜港で武器や艦船を購入していた事実は確実な史料から確認され、戊辰戦争の重傷者が横浜病院に搬送されていたことも、前線の病院で勤務した医師の日誌から明らかになっています。横浜では戦闘は起きなかったものの、横浜は戊辰戦争とけっして無関係ではなく、むしろ戦争を支える役割を果たしていたのです。この時期の横浜の性格も改めて考え直す必要があるでしょう。

本展では、明治元年という激動の一年を過ごした都市横浜について、戊辰戦争との関わりを中心に、古写真・錦絵・手紙・日記など多様な歴史資料からその具体的なようすを紹介します。

なお、本展は横浜市歴史博物館で開催される「戊辰の横浜 名もなき民の慶応四年」との連携展示です。歴史博物館会場では、横浜市域の村々が新政府軍や旧幕府勢力とさまざまな関係をもっていたこと、また武州金沢藩が新政府軍の進軍を担っていたことを、市域に残る古文書などから読み解きます。両館の展示をあわせて見ることによって、横浜の開港場と村々の慶応四・明治元年の情況がより明確に浮かび上がってくることでしょう。

(𠮷﨑雅規)

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