横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第141号
2018(平成30)年7月21日発行

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ミニ展示
昭和前期における金沢地域の霊場順拝

7月1日から8月31日まで開催する次回のミニ展示では、近代金沢における霊場・札所に焦点を当てます。今回はその内、「湘南金沢観音霊所順拝図」を取りあげます。

図版 昭和6年3月
湘南金沢観音霊所順拝図
 当館所蔵
図版 昭和6年3月 湘南金沢観音霊所順拝図 当館所蔵

「湘南金沢観音霊所順拝図」は、昭和6年(1931)3月に鶴見区の子生山(東福寺)に置かれた「順礼社」によって印刷・発行されたもので、「著作兼発行者」として「金子隆英」氏の名が記されている。表裏両面が印刷されており、奥付のある表側は「湘南金沢観音霊所順拝図」として同霊場の順拝行程を地図上に図示したもの。裏側は「金沢三十四ケ霊所」と題し同霊場の第一番称名寺より第三十四番釜利谷の金蔵院にいたる各札所の順番と寺名・所在地、さらに札所本尊と御詠歌を記している。

この「湘南金沢観音霊所」=「金沢三十四ケ霊所」は、金沢地域を中心に武蔵国久良岐郡の南部に成立していた観音霊場であり、ここでは金沢観音霊場と呼んでおく。ただし霊場を構成する札所については、明治初年の廃寺による統合や移動があり、江戸時代とは異なっている場所もある。また、金沢観音霊場の札所数は三四か所であり、同霊場が秩父観音霊場の「移し」「写し」であることがわかる。江戸時代、隣接する鎌倉郡と三浦郡には、それぞれ鎌倉観音霊場・三浦観音霊場と呼ぶべき観音霊場が存在しており、この三つの霊場の札所を全て廻ると百観音となり、三つの観音霊場が一つのまとまりとして存在していた。

さて、本資料における金沢観音霊場の巡拝は、表面の右上欄外に「九里三日」と記されており、約三六キロの行程を三日間かけて廻るとされている。徒歩による順拝が原則であろうが、「横浜市電」「湘南電鉄」(現在の京浜急行)「東海道本線」等の鉄道の路線が示されており、いくつかの札所間の移動については「乗合自動車」の存在が記述されていることから、途中の宿泊を含む三日間通しの巡拝というよりは、鉄道を利用した京浜方面からの参拝者が日帰りで来訪し、数日間をかけて霊場を廻ることを想定したものであろう。

(斉藤 司)

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