横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第132号
2016(平成28)年4月15日発行

表紙画像

展示余話
あるドイツ人が残した写真帳から

麒麟麦酒(キリンビール)株式会社の新棟

図1は、北方の醸造所付近に新設された麒麟麦酒株式会社(1907年2月、ジャパン・ブルワリーを継承)の建物の写真だ。写っている人物は会社の同僚たちだろうか。1907年12月14日撮影とメモ書きがある。この会社の撮影年が明らかな写真は珍しい。この一帯には天沼と呼ばれる良質な水が豊富にわき出る池があった。天沼は画面左手方向にある。

図1 麒麟麦酒株式会社の新棟
図1 麒麟麦酒株式会社の新棟

1909年3月の大地震

1909年3月13日夜11時30分頃、大きな揺れが横浜を襲った。今日では房総沖地震と呼ばれるマグニチュード7.5の大地震だった。図2図3は翌14日、ザンドステーデが撮影したものだ。図2は山手99番地にあったアメリカ海軍病院、図3は中華街の裏通りである。屋根瓦やレンガ壁の崩落が見られる。この日の『横浜貿易新報』は「十七年来の大地震」という見出しを付けて、各地で多数の家屋の被害や負傷者が出たことを報じた。ザンドステーデは日記や手紙を残していないが、この地震に驚き、写真に記録しようとしたのだろう。

図2 アメリカ海軍病院
図2 アメリカ海軍病院
図3 中華街の裏通り
図3 中華街の裏通り

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