横浜開港資料館

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「開港のひろば」第132号
2016(平成28)年4月15日発行

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特別資料コーナー
シドモアを魅了した、明治横浜の桜

1991年にワシントンのポトマック河畔の桜が横浜に里帰りしてから、今年で25周年となる。山手外国人墓地のシドモアの墓に植樹された桜は、毎年春に美しい花を咲かせ、日米を行き来した桜の物語を思い起こさせる。

エリザ・R・シドモアは、明治の末に日本の桜のポトマック河畔移植に尽力したことで知られる文筆家・地理学者だ。1884年、横浜の米国総領事館に勤務する兄を訪ねて初来日した。それ以来、何度も日本を訪れ、その見聞を『日本人力車旅情』Jinrikisha Days in Japanにまとめた(初版1891年刊、改訂版1902年刊)。

その頃の横浜は、日本における写真製作のメッカでもあった。モノクロ写真に日本絵具で手彩色された写真は、蒔絵や象眼細工の表紙のアルバムに装丁された。「横浜写真」とも呼ばれた彩色写真は、日本の伝統美術と西洋の新しい技術の融合と言えるが、カラー写真かと見まちがえるほど、自然な色味で美しい。その中には桜の名所を写したものも多い。現代の私たちは、古写真の中に、シドモアを魅了した、明治の横浜の桜を愛でることができる。

当時は、野毛山、伊勢山、横浜公園などが、桜の名所として知られていた。ここで紹介する一枚は、野毛山である。市中心部随一の高台で見晴らしも良く、豪商の原善三郎と茂木惣兵衛が邸宅を構えていた。

野毛山の花見 1900年頃 当館蔵
野毛山の花見 1900年頃 当館蔵

写真には、桜のトンネルの下、茶店の緋毛氈(ひもうせん)に腰かける和服の女性たちが写っている。目をこらすと、茶店の奥にはビール瓶が並んでいる。これは撮影用にセットされた一場面だが、横浜のハイカラな一面も垣間見えて興味深い。

「どこで桜の蕾が膨らみ、香りが漂い、徐々に開花していくかは、国民的関心事で、地元紙は毎日、桜の開花速報を出しています」と、シドモアは『日本人力車旅情』に書いている。春先、桜の開花予報に一喜一憂する国民性は、今も昔も変わらない。

3月30日から5月8日まで、特別資料コーナーで、当館が所蔵する市内の桜風景の彩色写真数点と、シドモアの原著を展示します。古写真に見る、明治の花見にお越し下さい。

(伊藤泉美)

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