横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第131号
2016(平成28)年2月3日発行

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日独修好150年の歴史
―幕末・明治のプロイセンと日本・横浜

プロイセン使節団の江戸到着を描いた新聞の挿絵
「イリュストラシオン」1860年12月29日号より 当館蔵
プロイセン使節団の江戸到着を描いた新聞の挿絵 「イリュストラシオン」1860年12月29日号より 当館蔵

本展示は、国立歴史民俗博物館・長崎歴史文化博物館・鳴門市ドイツ館・横浜開港資料館を巡回する企画展である。同展は昨年7月7日(火)に始まった国立歴史民俗博物館の展示を皮切りに、ドイツとの交流の歴史を持つ長崎市や鳴門市を巡り当館が最後の開催館になる。メイン会場である国立歴史民俗博物館では江戸時代から現在に至る多くの資料が出品されたが、当館ではスペースの関係もあり、幕末から明治初年の資料を選び、通商条約の締結から横浜でドイツ人との交流が始まる時期の資料を展示することにした。

ドイツの前身にあたるプロイセンが日本と通商条約を結んだのは1861年1月24日(万延元年12月14日)で、プロイセンは日本と通商条約を結んだ7番目の国になった。当時、現在のドイツにあたる地域には多くの国があり、プロイセンが派遣した使節団は、ドイツ語圏地域30数カ国の代表として来日した。しかし、幕府はそのような多くの国と条約を結ぶことはできないとし、結局、プロイセンだけと条約を結ぶことになった。日本がドイツ語圏地域の多くの国々と条約を結んだのは、プロイセンと条約を結んだ8年後の1869(明治2)年になってからであったが、ともあれプロイセンが日本と条約を結んだことによって、ドイツ人の活動拠点が日本に作られた。

プロイセンを含むドイツが統一されたのは、1871年1月18日(明治3年11月28日)で、この時、プロイセン国王ヴィルヘルム1世がドイツ帝国皇帝に即位した。ドイツ帝国の成立後、横浜にはより大きなドイツ人コミュニティーが作られていった。こうして多くのドイツ系商社が横浜に進出し、横浜はシンガポールや上海と並ぶドイツ系企業の活動拠点となった(3頁⑥の写真参照)。現在も横浜ではドイツの人々との交流が盛んであるが、展示を通じて150年以上前に始まったドイツとの交流の原点を振り返りたい。

展示開催にあたってはベルリン国立図書館・ハンブルク国立文書館・プロイセン枢密文書館、日本との交流に尽力したドイツ人のご子孫から多くの資料を出品いただいた。また、共催のドイツ連邦共和国大使館、後援をいただいた全国日独協会連合会・東京横浜独逸学園・独日協会連合会・横浜日独協会にも感謝申し上げたい。

(西川武臣)

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