横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第131号
2016(平成28)年2月3日発行

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特別資料コーナー
横浜海岸教会所蔵資料から
初代牧師、稲垣信(いながき まこと)関係資料

明治5(1872)年、バラから受洗した11人の日本人によって創設された日本基督公会(にほんきりすとこうかい 現在の横浜海岸教会)は、日本最初の日本人のためのプロテスタント教会であった。設立当時は牧師の資格を持つ日本人がいなかったため、バラが仮牧師(かりぼくし)として迎えられたが、明治11(1878)年、バラは一時国することになり、仮牧師を辞した。その翌年、最初の日本人牧師に就任したのが、稲垣信であった。

稲垣信は、嘉永元(1848)年に江戸の上田藩邸に生まれ、藩主松平忠礼(まつだいら ただなり)の命により藩校の明倫堂(めいりんどう)で学んだ。明治7(1874)年、旧藩士でキリスト教を横浜で学んだ鈴木親長(すずき ともなが)に上田で出会い、キリスト教を知り、明治9(1876)年、横浜基督公会でバラより洗礼を受けた。明治12(1879)年には、植村正久(うえむら まさひさ)、井深梶之助(いぶか かじのすけ)らと共に牧師就任の按手(あんしゅ)を受けた。ここで紹介する「依頼書ノ事」(横浜海岸教会所蔵資料−文書−3 資料1)は、教会の委員宮崎徳兵衛ら八名が、稲垣に宛て送った牧師就任依頼書である。稲垣は要請に応じ牧師となり、その後14年間牧師を務めた。なお依頼書の最後に議長として「美露留露毳」(みろるろぜ) と記されているのは、米国改革派の宣教師エドワード・ローゼイ・ミラーである。ミラーは、改革派の女性宣教師でフェリス女学院の創設者であるメアリー・キダーと結婚し、長老派から改革派へ転籍した。

資料1「依頼書ノ事」 横浜海岸教会所蔵資料 文書−3
明治12(1879)年横浜海岸教会所蔵・当館保管
資料1「依頼書ノ事」横浜海岸教会所蔵資料 文書−3 明治12(1879)年横浜海岸教会所蔵・当館保管

稲垣は、明治26(1893)年まで横浜海岸教会の牧師を務め、その後5年間全国各地を巡回伝道し、明治31(1898)年より同39(1906)年まで再び横浜海岸教会の牧師となった。辞任後は、四谷伝道教会、三島教会で牧師を務め、大正15(1926)年に東京で死去した。79歳であった。

横浜海岸教会所蔵資料が当館に寄託されたことを記念し、特別資料コーナーで、2月13日(土)から3月27日(日)まで、「依頼書ノ事」など、稲垣信関係資料を紹介します。

(石崎康子)

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