横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第131号
2016(平成28)年2月3日発行

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展示余話
三分小学校における音楽教育の展開
―「六浦荘(むつうらのしょう)村立三分(さんぶん)小学校沿革誌」にみる―

企画展「その音、奇妙なり―横浜・西洋音楽との出合い―」において出陳した「六浦荘村立三分小学校沿革誌」(以下、「沿革誌」と記す)は、横浜市立六浦小学校(金沢区)所蔵で、同校の前身にあたる三分小学校の沿革を記したものである。三分小学校は、当時の久良岐郡六浦荘村立として明治6(1873)年に創立され、大正15(1926)年に統合により廃校となるまで存続した学校である。

「沿革誌」は全2冊からなり、第1冊目が創立から明治年間を、第2冊目が大正年間を、それぞれ記述対象としている(図1)。明治33年9月付の「緒言」によれば、同校の初代校長である平田恒吉が、同年7月から9月の「夏季休業中」に編纂したとされるので、同年頃までの内容はこの際にまとめられたのであろう。それ以降については、大正4年に在職中に死去するまでは平田氏が、ついでは歴代の校長・教員によって書き継がれていったものと思われる。

図1 「六浦荘村立三分小学校沿革誌」第1冊の表紙
横浜市立六浦小学校所蔵
図1 「六浦荘村立三分小学校沿革誌」第1冊の表紙 横浜市立六浦小学校所蔵

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