横浜開港資料館

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「開港のひろば」第131号
2016(平成28)年2月3日発行

表紙画像

企画展
ドイツと日本の交流の足跡
―遺された資料から―

海外で刊行された新聞の挿絵

企画展示の開催にあたっては、ドイツから多くの資料を出品いただいた。ここでは、そうした資料を含め、ドイツと日本の交流の歴史を現在に伝える資料を紹介したい。プロイセン使節団が同国海軍の蒸気軍艦アルコーナ号に乗って江戸に到着したのは1860年9月4日の夕刻で、使節団は8日に江戸の三田付近に上陸した。その後、増上寺付近に置かれた赤羽接遇所と呼ばれる建物に入り、この建物を拠点に幕府との交渉を始めた。1頁に掲載した絵は、上陸直後の使節団を描いた絵で、フランスのパリで発行された新聞「イリュストラシオン」の挿絵である。当時、ヨーロッパやアメリカで刊行された新聞には日本から送られた情報が掲載されることがあり、プロイセン使節団の動向も挿絵付きで報じられた。

新聞の刊行日は1860年12月29日で、パリの人びとはプロイセンと日本の通商条約締結に関する情報を約4ヶ月後に新聞記事から知ったことになる。また、①はプロイセン使節団が滞在した赤羽接遇所付近の光景を、②は江戸城を描いたものである。どちらの絵も使節団が帰国後に刊行した『オイレンブルク日本遠征記』に収録されたものであるが、こうした本からも日本の様子が海外に紹介され、ヨーロッパの人びとは日本についての認識を深めることになった。

①赤羽接遇所が置かれた付近の通り
『オイレンブルク日本遠征記』口絵より 当館蔵
①赤羽接遇所が置かれた付近の通り 『オイレンブルク日本遠征記』口絵より 当館蔵
②江戸城の城壁と城門
『オイレンブルク日本遠征記』口絵より 当館蔵
②江戸城の城壁と城門 『オイレンブルク日本遠征記』口絵より 当館蔵

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