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「開港のひろば」第130号
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企画展
「日露戦争下の少年音楽隊」
町屋少年音楽隊の設立経費
音楽隊の設立費用に関するものとして、当館所蔵の松本ナミ家文書に関連資料が残されている。松本家は旧武蔵国久良岐郡町屋村(現金沢区)の名主・戸長を務めた旧家で、町屋村は明治22(1889)年の町村制施行に伴い金沢村に編入され、金沢村字町屋となる。
町屋の音楽隊は「少年音楽隊」と称され、その設立費用は総額77円20銭5厘で、拠出先は①「村内有志寄付之分」48円75銭、②「子共ヨリ有志寄付入金之分」5円15銭、③「楽隊寄付金ニテ差引不足之分」について町屋町内会の通常予算より支出した23円30銭5厘である。
①は明治37年8月付の「町屋字少年音楽隊組織費義捐簿」に記されているもので、合計63名(東京在住者2名を含む)より48円75銭の「組織費」の「義捐」(寄付金)が寄せられている(図3)。
②は少年音楽隊の楽隊員である子供名義の寄付金であるが、実際は親による寄付であろう。明治37年8月から同38年1月9日までの費用と内容を書き上げた「当字楽隊ニ関スル諸費」に「子供ヨリ有志寄附金受取入ル」という8月一17日の日付と5円15銭という金額が記されている(図4)。
③は明治37年度分の町屋町内会の出納帳簿である明治38年1月付の「字費支払差引決算帳」に記されている(図5)。
こうした金銭は、楽器の購入・修理、制服である洋服や学隊旗の購入、稽古場の使用料や指導者への謝金などに充てられた。
最大の支出は、10月1日付の「楽隊洋服弐拾組代、横浜鈴木洋服店払」の45円(一組あたり2円25銭)で、設立費用全体の6割弱を占める。また、洋服の数から、音楽隊が20人前後で構成されていたことになる。楽器編成は大太鼓・小太鼓・シンバル・銀笛・手風琴で、その数は大太鼓・小太鼓・シンバル各1、手風琴は当初2であったものが後に追加されて合計4、それ以外のメンバーは銀笛ということになろう。