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「開港のひろば」第128号
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企画展
異国の面影 横濱外国人居留地(きょりゅうち)1895
迷いこんだのは、120年前の地図の中
1895年 Plan of the Settlement of Yokohama, Japan井出巽製作
石版印刷・手彩色 縮尺:約1/600 190cm×200cm当館蔵
横浜山下町。四季を通じて観光客で賑わう場所ですが、大勢の方々は何を求めてこの街を訪れるのでしょうか。それは、港町の風情と、異国の面影を求めてかもしれません。横浜のエキゾティズムの源流は、幕末に開かれ、明治期に発展した外国人居留地です。欧米系・中国系・インド系などの商社・銀行・ホテルなどが建ちならび、貿易を通して世界と日本をつなぐ経済の拠点であり、外交の舞台であり、文化往来の窓口でもありました。
今回初公開する地図(図1)は、1895年に製作された、横浜外国人居留地の火災保険地図です。火災保険地図は火保図とも呼ばれ、保険料率を算定するために使われたもので、製図会社が実地調査に基づき製作していました。欧米では19世紀の中頃から火保図が製作されました。これは、日本で作られた外国系保険会社向けの火保図です。
日本語で書かれた火保図は、昭和の初め頃から製作されています。したがって、明治後期の1895年に製作されたこの一枚は、日本の火保図としては最古級であり、極めて貴重な一枚と言えます。
この火保図には道路や建物の位置が記されているだけでなく、建物の耐火性の観点から、外壁の材質別(煉瓦、石、漆喰、トタン)に色分けがなされ、また隣接する建物との距離、給水栓や消火用井戸の設置場所なども明記されています。この火保図を詳細に調べることで、横浜外国人居留地の具体像が浮かび上がってきます。そこにはどのような街並みが広がっていたのでしょうか。
本展示では、この火保図と同時代の写真や出版物、また山下居留地遺跡の出土遺物などを組み合わせ、当時の外国人居留地の姿を明らかにしていきます。また、迷路のようなこの火保図の世界に、現代の「私」がタイムトラベルしたという設定で展開していきます。
ある日、うたた寝から目覚めた「私」は、120年前の大桟橋に立っていたのです。そこから、日本大通り、本町通り、海岸通り、水町通り、中華街、堀川へと歩いていきます。
横浜という都市の個性の一つは、国際性です。その国際性の源は外国人居留地であり、その存在はこの街の歴史と魅力を理解する上で、重要な鍵となります。一枚の地図をてがかりに、居留地の姿をたずねる、時空の旅にでかけましょう。
(伊藤泉美)