横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第128号
2015(平成27)年4月22日発行

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展示余話
ミッション・スクール関係資料から
〜横浜英和学院所蔵資料〜

関東大震災と学校資料

関東大震災発生前、山手には女子ミッション・スクールとして、フエリス和英女学校・横浜共立学園・横浜紅蘭女学校の3校があった。地震とその後の火災で、山手の3校は壊滅的な被害を被ったが、中丸の捜真女学校と蒔田の横浜英和女学校は、被災はしたが、火災による校舎の焼失を免れ、資料の損失も少なかった。横浜英和学院の資料には、関東大震災およびその後の神奈川県・横浜市とのやりとりの文書などを見ることができる。

展示では、震災発生時の記録として、1923(大正12)年4月30日から1937(昭和12)年3月までの学友会の記録である「横浜英和女学校学友会記録」を出陳した。震災発生の9月1日の項に「助けを求むる者、にげまどふ男女、愛児を背負ふて卒倒する母親、これが地上に於いての最大悲惨事でなくして何であろう」と、当時の状況が記されている。

また震災のため倒壊または焼失した校舎や学校備品・教科書・学用品について報告するよう、横浜市教育課より出された通知(「震災被害等調査依頼」9月22日)、右の通知に対し、校長のハジス名で横浜市教育課に提出した回答の写(「震災被害等調査の回報」9月24日)も出陳した。同資料には、横浜英和女学校の被害が、倒壊は雨天体操場のみであり、その他4棟の校舎は半壊であったことなどが記されており、同校の被害状況も知ることができる。

震災後、伝染病の流行を懸念し、横浜市長名で公立および私立の学校長に宛てて出した通知「学校伝染病予防ニ関する件」(10月20日)も出陳したが、そこには授業再開に際して、健康診断を行うことなどが記されている。またハジスより神奈川県知事安河内麻吉(やすこうちあさきち)宛て提出した文書で、応急修繕を施す予定の校舎に、生徒の収容が可能かどうか、検分を依頼する文書「校舎検分願」(11月28日)も展示した。いずれも震災発生後、神奈川県や横浜市と学校側の対応の様子を知ることができる貴重な資料である。

震災復興のため、各校は校舎の再建・修復を急いだが、フエリス和英女学校・横浜共立学園・横浜英和女学校の3校は、ミッション本部から組立校舎(Portable house)の資材が送られ、組立校舎で数年間授業を行い、その間に本校舎建設のための資金を集め、本校舎を建設した。資料3は、前川謙三が撮影したフェリス和英女学校の仮校舎であるが、今回展示では、横浜英和女学校に米国ミッションより送られた組立校舎に関する書類(1924年4月)を紹介した(資料4)。組立校舎は、船便でシアトルから横浜へ送られたが、書類には送られた部材のリストや、荷物引換証、保険証書など一式が含まれている。この時送られた組立校舎は、震災で壊滅的な被害を受けた本牧上台の同校附属の幼稚園校舎を、蒔田の校地内に再建する際に使用された。

横浜の学校は、今回取り上げた女子ミッション・スクールに限らず、関東大震災や戦災で被災し、多くの学校関係資料を失った。今回の展示開催にあたっても、5校が所蔵される資料をご提供いただくことで、横浜の女子ミッション・スクールの歴史をたどることができた。学校資料は、各校の校史編纂には欠くことのできない資料であるが、さらに地域の教育史、文化史を明らかにする貴重な財産である。今回の展示が、学校資料の意義を明らかにする一助となれば幸いである。

今回の展示開催にあたっては、5校から多大なご協力をいただいた。各校には厚くお礼を申し上げたい。また横浜英和学院については、資料調査にご協力いただいた。対応してくださった横浜英和女学院中学・高等学校校長、伊藤美奈子氏には、深くお礼を申しあげたい。また同校資料調査については、武田周一郎、大杉要の両氏の協力を得た。記して謝意を表します。

(石崎康子)

資料3 完成したフエリス和英女学校の仮校舎
前川謙三撮影 横浜市史資料室所蔵・前川淨二家資料 資料3 完成したフエリス和英女学校の仮校舎 前川謙三撮影 横浜市史資料室所蔵・前川淨二家資料
資料4 米国のミッションより送られた組立校舎に関する書類
1924(大正13)年4月 横浜英和学院所蔵 資料4 米国のミッションより送られた組立校舎に関する書類 1924(大正13)年4月 横浜英和学院所蔵

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